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人と人とのつながりを大切に、常に新たなチャレンジを続けキャリアアップを重ねてきたデジタルグリッドCFO嶋田剛久氏のこれからのビジョンとは

HUPRO 編集部
人と人とのつながりを大切に、常に新たなチャレンジを続けキャリアアップを重ねてきたデジタルグリッドCFO嶋田剛久氏のこれからのビジョンとは

日本長期信用銀行入行後、東京三菱証券、ゴールドマンサックス証券、UBS証券を経て、現在デジタルグリッド株式会社のCFOとしてご活躍中の嶋田剛久氏。人と人とのつながりを大切にし、新たなチャレンジをし続ける嶋田氏に、今までのご経験や、CFOとしてのお仕事の魅力、今後の展望などをHUPRO編集部がお話を伺いました。

【キャリアグラフ】

明治大学法学部から日本長期信用銀行へ

―日本長期信用銀行入行前の明治大学では法学部でどんなことを学ばれていたのですか?
正直これという勉強をした記憶はなく、大学ではアメリカンフットボールに明け暮れていました。(笑)

―法学部は金融系の勉強ではなかったと思うのですが、どうして日本長期信用銀行に入行されたのですか?
ご縁があり、たまたまアメリカンフットボールの先輩が他の銀行に勤務されていました。大学の合宿所に届いた長銀のパンフレットがかっこよかったので「銀行に勤めるなら長銀がいいです」とその先輩に話をしたら、長銀の方を紹介してくれ、そこから話が進みました。当時の主要銀行は21行あったのですが、それがどこなのかも知らずに長銀に入行したので、キャリアビジョンも特にありませんでした。

―入社当初の担当業務はどんなものでしたか?
銀行の窓口で、預金業務をしていましたが、基本的には窓口の多くは女性で経験も多いので、後ろのほうで事務作業をしていました。窓口が3時に閉まると、皆さんのジュースを買いに行ったり、シュレッターのゴミが溜まるとゴミを交換したり、そんなことばかりをやっていました。(笑)

―どういったところにやりがいを感じていましたか?
自分がやるよりも先輩方が仕事をしたほうが圧倒的に早いので、その方々が働きやすい環境を作る事に注力していました。一番注力したのは「マイアイディア」という社内での業務改善の募集で、毎月何十件も提出していました。賞を取ると商品券か図書券が貰えるので、それを元手にチームの方々と食事に行ったりしていました。マイアイディアで業務内容を改善するとチームのメンバーの役に立ちますし、さらに「自分の提案したことが改善に繋がった」というところに非常にやりがいを感じていました。

―会社に貢献しようという心意気が認められ、営業部で大企業担当になったときに満足度が上がったのはどうしてですか?
当然私一人ではないのですが、チームでの融資の取扱量が銀行の中でも上位に入るような企業グループを担当できました。更にチームの中で私ともう一人の先輩の2人で担当を分けていたのですが、かなりボリュームを持たせて頂いていたのでやりがいがありました。また、お客様と接することができる部署だったので非常に楽しかったです。

―お客様と接する仕事のどういった点が好きですか?
良いサービスを提供するためには自分も勉強しないといけませんが、緊張感を持ってお客様と接することができる点は今でも楽しいです。

―日本長期信用銀行が国有化された当時の社内はどのような状況でしたか?
皆どうなるのだろうかと動揺していました。また、お客様に迷惑をかける可能性がありそれが苦しくて、これが転職を考えるきっかけになりました。同時に自分に得意分野がないという課題感が生まれていて、専門的な仕事につきたいとも思っていた時期でもありました。

そんな時に、東京三菱証券の金融商品を開発するチームの方に声を掛けて頂いて、商品開発の経験はなかったのですが、興味深くまた自分の強みになるのではないかと思い転職を決めました。

より専門的な仕事を求めて東京三菱証券へ

―転職してから変化はありましたか?
私はプロダクトの担当で、金融商品の資料作りや営業の方々と同行訪問して商品説明などをしていました。
始めての経験だったので、不安な気持ちから当時のオフィスの近くにあった八重洲ブックセンターで毎日金融の本を1冊は買って帰るという日々でした。

―毎日一冊本を買って帰るといった上昇志向はどこから来ていたのですか?
知識が入るのは楽しかったです。その知識をもとに商品を考えて営業の方々にご案内すると面白いと言ってもらえて、またそのフィードバックから知識を得るという繰り返しでしたね。当時は休みの日にプレゼンを作って家内を相手にプレゼンの練習をしていました。「全然魅力が分からない」と言われて考え直したり…。(笑)
何も分からない人にも理解してもらえるような説明をするために練習した事を覚えています。

―その後大型取引を数件成約し社長賞を獲得されていますが、大型取引の成功はどこから生まれたのですか?
新しい物をどんどん作りたいという思いがありました。テーラーメードみたいなものが好きで、AさんにはAさんが求めている物を、BさんにはBさんが求めている物をというふうに、お客様それぞれに合うものを提示したいという思いがあり、それをやっているうちにどんどんお客様との距離が近づいていきました。
お客様と直接話すケースもありましたが、ほとんどは営業の方々を通じてなので、営業の方ともアイディアを出し合いながら信頼関係を作っているうちに、問い合わせも増えてきて大きな案件も頂けるようになりました。

―営業の方々との信頼を築くコツみたいなものはありますか?
営業の方々とは部署が違うので、私の席からは遠いのですが、基本的には営業の方々の席のそばに座って空いている時間があればノートを持ちながら話を聞き、それをもとに商品を作っていました。机に座っていても問い合わせは来ませんし、何も分からないので、分からない事は聞きながらこれ調べて、これ考えてと言われてやった方が効率的だと思っていました。私にとってのお客様は営業の方々になるので、営業の方々向けに営業をしていたという感じです。

ゴールドマンサックスへ転職しリーマンショック、上司との別れを経験

―ご自身のキャリアの成長や満足感がある中で、ゴールドマンサックスに転職なさったのはどういった経緯があったのですか?
当時のチームのメンバーがゴールドマンへ行った事や、実際のお取引の担当の方が声を掛けてくれたことがきっかけです。一番は、東京三菱証券の時に外資系の金融機関から金融商品を仕入れる事が多々ありましたが、その仕入先であるゴールドマンサックスへ転職することで、自分が扱っていた商品の構造をもっと見たいという好奇心ですね。金融商品の構造をそれぞれ分解してみる事ができたので、非常に楽しかったです。

―リーマンショックを経験されましたが、当時の社内の様子はどのようなものでしたか?
まず、リーマンショックの前のサブプライム問題の時は、ゴールドマンサックスはリスク分散をしていたのでそんなに痛手は多くなかったのですが、さすがにリーマンショックの時には無傷ではいられずかなりしんどい状況になりました。
何よりもお客様の商品の評価が悪くなってしまったのが一番辛かったです。

市場が悪いと取引も少なくなり、それに伴ってチームの成績も悪くなるので、マーケットが良い時に比べると厳しい状態にはなりました。チームメンバーの満足度も結果が出にくいと言うところで大きく下がりました。マーケットが良し悪しに関係なく成績を上げる必要があったので、何ができるかをチームで考えて打開策を探すということに、より時間を使うようになりました。

―上司との別れというのは、どんな方だったのですか?
女性の上司で入社時から取引先への同行や会食など行動を共にしていました。
仕事についての議論もだいぶしましたし、非常に明るくてリーダーシップのある方で、一緒に仕事をしている時は非常に楽しかったのですが、その方が急に体調が悪くなられて亡くなられてしまい、その時は人生観が変わりました。

仕事が趣味みたいな方で、我々もそういう上司についていけて良かったなと思っていたのですが、お子さんも小さく、早くして亡くなられてしまったので非常に残念で寂しかったです。

UBS証券に転職

―UBS証券に転職された経緯はどういったものだったのですか?
ゴールドマンサックスの退職を決めた時には次の転職先を決めておらず、しばらく色々な業界を見てみたいなと思っていました。
当時、私は債券部にいたのですが、新しい分野にチャレンジしたいと考えて、①M&Aやアドバイザー業務、また企業の資金調達を手掛ける投資銀行、②資産運用を行うアセットマネジメント、③個人の富裕層向けの資産運用であるウェルスマネジメント、④独自の技術のある事業法人の4分野を候補として考えていました。

そのような状況の時に、UBS証券の投資銀行部門の本部長と会食の機会がありお声を掛けていただきました。始めてやる仕事だったので、チャレンジではあったのですが、投資銀行部門には非常に興味を持っていたこと、及びUBSは世界最大のウェルスマネジメントを本国で持っていて、日本でも大きいオペレーションをしているので、自分が考えていた4つのうちの2つを兼ね備えているUBSへの転職を決めました。

―今までとは違う新しい仕事とはどのような仕事だったのですか?
それまではマーケットの商品をお客様に届ける仕事がメインだったのですが、投資銀行は企業のインサイダー情報を扱うので、オープンな市場での取引とは違う世界観がありました。
その中で企業の経営陣の方と話をする機会が増えてきたので、とても勉強になりました。またウェルスマネジメントからの紹介でも多くの経営陣の方々とお会いすることができたので、こちらも非常に勉強にもなりました。

デジタルグリッドへ入社しCFOとして働く今

―そこからデジタルグリッドに入社された経緯はどういったものだったのでしょうか?
現在の会社の社長の豊田はもともとゴールドマンサックス時代の後輩です。今はこき使われていますけど(笑)
UBS時代は、将来の上場予備軍であるスタートアップ企業のお話を聞いたり、場合によっては資金調達などもお手伝いしていて、その時に豊田がスタートアップに転職したことを聞いていました。

しかし、その後、豊田から全く連絡が来なくなり、連絡を取ったらなかなか厳しい状況という話だったので、そこから詳しく会社の内容を聞いたり、相談を受けたりしているうちに、豊田からCFOを探しているということを聞いたので、今の会社への転職を決めました。

それまで金融一筋でしたが、環境にも興味を持っていて、この会社であれば環境に関わる仕事もできるなという思いも転職を決めた理由の一つです。

―現在仕事をされているデジタルグリッドとはどのような会社なのですか?
デジタルグリッドはもともと東京大学の阿部先生が考えた「電気をインターネットの様に自由に融通したり売買し合う」というコンセプトで、阿部先生が2017年に立ち上げた会社です。

従来は、資格者でなければできなかった電気の売買を我々の会社のプラットフォーム上で資格が無い方々でも取引できるという認可を頂き、2020年の2月から商用化が始まりました。

今後我々がやりたいのは「電気を融通し合う」という事です。再エネがそんなになくてもいいという人もいれば100%再エネにしたいという人もいる中で、メニューを柔軟に組み合わせて電気を有効に融通し合う、そんな世界が作れるのではないかということを、今やっています。

よく競争相手は誰ですか?という話をされますが、お互いをつぶし合う必要は全くなく、豊田中心にいろいろなスタートアップの方々と協力し合いながら業界を盛り上げられればいいと日々話しています。

-いろいろな会社の方が関わっていらっしゃって壮大ですね
ご出資頂いている方も火力発電家の方や再エネ発電家などさまざまです。
また需要家側ではオフィスで使っている方もいれば工場で使っている方もいます。
最近では地方自治体の方のお問い合わせも増えてきましたし、将来的には家庭にも電気を供給したいと考えています。

―現在の嶋田さんのCFOとしての業務内容を教えてください
私は2020年4月15日に入社したのですが、その時には基本的に資金調達はほぼ終わっていました。
どちらかというとプラットフォームの取扱量を増やさないといけなかったので、営業メンバーと一緒に私の従来の取引先や仲良くしていただいていたお客様等に我々の事業を案内しながら我々のターゲット顧客像作りからはじめました。

2021年はCFO業務が増え、監査法人との契約や、資金調達、証券会社各社とのコミュニケーションなどをやりました。
特に、資金調達は時間がかかりましたが、プラットフォームのご利用を検討いただいている事業法人の方々を中心にご出資いただけたので良かったと思います。

それ以外は、HPのお問い合わせフォームの対応です。
せっかく頂いた機会を逃したくないので、ファーストコンタクトは私がとっているのですが、チームのメンバーからはCFOじゃなくて、CMOだと揶揄されています(笑)
一方、初めて弊社の概要やサービスについて説明を受ける方に如何にご理解いただくかが重要であり、よりわかりやすくシンプルに説明することを心がけたことが、その後の資金調達の際にご投資家の方々に説明する際にも非常に生きたと思います。

2021年の年初に営業メンバーと今年の目標を決めたのですが、私の目標は「CFOになる」ということで(笑)、昨年は比較的そういう仕事ができたのではないかと思います。

―現在は満足度が高い状態だと思うのですが、どういった点で満足されていますか?
デジタルグリッドについては社長も34歳ですし、主要なメンバーは20代、30代で構成されていて、そこに混ざって僕が何をやるかというのは常に考えています。
会社ではこれまでの自分の経験を活かせていますし、会社の役にもそこそこ立っているのではないかと感じているので満足度は高いですね。実際30代の社長と50代のCFOのコンビを複数のご投資家など関係者の方々にご評価いただけたことも大変有り難く思っています。一方で取締役は初めての経験なので、そのプレッシャーや責任は常に感じています。

また、会社のメンバーは非常に仲が良く、毎週木曜日の夕方になると皇居を皆で走ってその後、食事に行ったりしています。先日はお客様同士をご紹介して3社で走ったりして、その後みなでわいわいやるのも楽しみの一つです。

―デジタルグリッドでの仕事と、銀行や証券会社での仕事とでは立場や環境が大きく変わったと思いますが、ギャップを感じたりしませんでしたか?
入社時は本当に電気について何も分からなかったので、電気ってかなりマニアックだなぁという印象でした。

社長の豊田はもちろん、COOの近清は阿部研究室の2期生で、もう一人の取締役の松井も環境系のコンサルティングをやっていたので知見があるのですが、電気に初めて触れるというメンバーも多いのがこの会社の特徴です。

そんな電力業界が初めてのメンバー達と皆で情報を集めて勉強を続けているので、そういう意味では新しい事を学べて楽しいと思っています。

CFO業務では、エクイティファイナンスや、金融機関からの融資を受けたりをするのですが、そういう点では過去の仕事が役に立っています。また、電力事業というところで見ても、使用する電力の組み合わせを提案したりするので比較的金融商品に近い感覚で新しいプロダクトを開発したり、そういった面でも経験が役に立っているなと思います。

―今後の目標などはありますか?
当面の目標はまず上場を目指すというところですが、それはゴールではありません。
我々のプラットフォームを使って頂いている方々にいかに満足して頂けるか、お役に立つようなプラットフォームを作っていきたいという所が目標です。

スタートアップでいくと、結構ニッチな部分を狙って市場は小さいながらも特徴があったりする方々が多い中で、デジタルグリッドはベンチャーとしては狙っているところが大きいです。
当然、従来からいらっしゃるプレイヤーも多く、しかしそういう中で従来の習慣にとらわれず新しい切り口で面白そうだからやろうとメンバー皆で日々切磋琢磨できているので、非常にやりがいを感じています。

―嶋田さんの視点でデジタルグリッドの強みとは何ですか?
メンバーが強みですね。一人一人が役割に責任を持って働いているので各自意見も持っています。当然、豊田というリーダーが中心にいますが、チャレンジしようと何かを決める時には皆で意見を出し合って決める、合議性を取っていますし、何時でもオンライン会議が開かれ、関係者がどんどん参加してきて物事をその場で決めていくので、意思決定も非常に早いです。
また電力業界の出身者は多くなく、コンサルや金融など様々な分野の経験者が集まっていることも弊社の強みだと思っています。繰り返しになりますが従来の慣習にとらわれず、様々なアングルから仮説を立て、議論を重ね、そして素早く行動に移すことが今後も非常に重要だと考えています。

―CFOとしてこんな人と一緒に働きたいという人物像はありますか?
積極的に何でもチャレンジしてくれる人、自分の意見を持って働いてくれる人というのは一番大きい要素ですね。

お互い提案をぶつけあいたいですし、なぜそれをやりたいと思うかという意見を出し合いながら、新しい事にもどんどんチャレンジする、そういう方と一緒に働ければいいなと思っています。

―転職に悩んでいる読者の方への応援メッセージがありましたらお願いします。
会社自体も大切ですけど一緒に働く人がとても重要だと思いますので、お会いになってフィーリングが合うとか、そういったところは一つ重要になるんじゃないかなと思います。

―本日はお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

今回お話を伺った嶋田氏がCFOを務める株式会社デジタルグリッドのHPはこちら

この記事を書いたライター

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