【キャリアグラフ】
―名古屋工業大学工学部入学の経緯と大学時代印象に残っていることを教えてください。
高校時代はあまり勉強するタイプではなく、当時は音楽にのめり込んでいたので、ギターの専門学校に行くか、それとも皆と同じように大学に行くか迷いました。当時の自分の才能では音楽では飯を食っていけないと思ったので、大学に進学しました。
当時のめりこんでいた音楽以外でやりたいことは何か?を考えた時に、将来経営者になりたいというのが漠然とありました。そこで、経営工学が学べる大学を探し名古屋工業大学への入学を決めました。
大学では工学部ならではの理系科目の学びよりも、プロジェクトマネージメントや統計学やマーケティングなど、もともと民間の企業で第一線で仕事をされていた方の授業を受けるのが刺激的でした。
―大学卒業後、岡谷鋼機株式会社に入社され、研修では経理ではなく社会人としてのマナーを学ばれたのですか?
2011年4月に入社したのですが、入社前の3月11日に東日本大震災が起こり、入社当時は会社の中もバタバタでした。
最初の1か月は、マナー研修や社会人としての心得を学び、その後10月まではいろいろな部署に1か月ずつ入り様々な仕事を体験しました。
6カ月という長すぎる研修期間には少し嫌気がさしました。
ー6ヶ月間の研修を経て、経理部門に配属されましたね。
経理部への配属を望んでいたわけではありませんでした。営業部門の中で営業をやりたいなとも思っていました。しかし、数字やお金を扱うことも好きだったので、嫌ではありませんでした。
実際に働き始めると、細かく地道な作業が多く、間違えなくて当たり前、出来て当たり前な世界であり、人よりも頑張ってもなかなか評価されづらいなと感じました。仕事のやり方を覚え、業務の幅が広がることで、作業としてやっていたことが線になり面になり、自分のやっていることが会社にとってどれだけ重要なことかを感じ、仕事が面白く感じられるようになりました。配属されて半年後に、大きな仕事を任せてもらえた時には、大きな成功体験を感じることが出来ました。
―最初に配属された経営本部では具体的にどんなお仕事をメインにされていましたか?
経理の基本となる伝票処理もありつつ、営業部門に対する経理的なサポートもしていました。
商社だったので、海外との新規取引が多く、営業部門からの相談で、どんなスキームで取引や決済をすればリスクを押さえられかつ経理的、税務的に正しい取引ができるのかを一緒に検討していました。経理実務と、営業相談対応とだいたい半分くらいの割合でした。
―経理部にいた当時はどこにやりがいを感じられていましたか?
営業部門から相談を受け、一つの新規取引が形になったときは嬉しかったです。特に海外との取引では入金があるまで気を抜けませんが、無事に取引が完了しにお客様から入金があり、営業担当者からも感謝していただけたことはやりがいを感じました。
―逆にしんどかったところはどこでしたか?
何でも割り切ってやる性格なのであまりないのですが、グループ会社に出向した後、自分が思ったように成長していない、人の期待に応えられていないもどかしさを感じた時はつらかったです。
―2年後出向されたグループ会社はどんなところでしたか?
ゴリゴリ実務をやるところでした。当時グループ会社が70社くらい当時あったのですがそこの決算を一手に引き受けていて、連結決算を組み、開示資料を作るという仕事で一年がぐるぐると回っていました。
―キャリアグラフが少し下がってしまったのはどうしてですか?
仕事がルーティーンで、周りが会計士や税理士が多い環境で、自分は専門性もなく放り出されて修行していた感じだったので、自分の強みをどこで発揮するか悩みました。
また、私はその会社の中では最年少だったのですが、親会社から来ているという環境で、立ち振る舞いもなかなか難しかったです。
―キャリアグラフでは「その後のキャリアにおいて非常に重要な時期となる」と振り返られていますが、実際にどのように重要だったと思っていますか?
ここで3年間みっちり修行して、実務経験を積んだことが、その後のコンサルでの自分の強みに繋がっていますし、今もそれが仕事の糧となっています。
世の中のCFOの方は、会計士や税理士、MBA(経営管理修士)保有者が多いと思うのですが、僕はどちらかというとこの当時の実務経験が武器になっていると感じます。
―メンタル的にも大変だったと思いますがどのように乗り越えられたのですか?
出向して3年目に出向先の社長が変わり、そこで様々な課題をどんどん押し付けてもらい、非常にプレッシャーをかけてもらったことで、自分がストレッチできたと思います。
―プレッシャーにやられてしまう方もいる中で、どんなふうにプレッシャーを跳ね返されたのですか?
その前の2年間は、自分自身あまり成長できていないと実感していたので、「ここで変わらないといけない!」という気持ちが強く、やるしかないというところでした。
―ご自身の成長を客観的に見ることのできるスキルはどこで磨かれたのですか?
自分が目標とする上司や先輩が自分の年次の時にどのような仕事をしていたのかと考えた時に、その人たちに追いついて追い越すためには、今の段階でもっと成長しなくてはいけないなというのは感じました。尊敬できる先輩、上司がいたというのが大きいと思います。
―3年間の出向を経て経理本部に戻られていますが、ここでキャリアグラフがぐっと上がっているのはどうしてですか?
経理本部の仕事は、経理と財務に大きく2つに分かれていたのですが、経理から財務の方に軸足を移して新しい仕事に取り組めたことがすごく楽しかったです。
資金調達をする、投融資の管理をする、金融機関との取引を担うということが、経営の重要な部分と直結していると感じたからです。
会社の役員陣と会議をすることも増えてきて、そこに非常にやりがいを感じました。
―当時、井川さんが感じられていた財務の楽しさはどこにありましたか?
より事業や経営に携われているという実感を持てたことです。経理というのは数字を集計して決算を組んで、数字を分析するという仕事が多く、経営状態を正しく診断し指し示す会社にとってのお医者さんのような役割だと思います。
一方で、財務は事業に必要な資金調達や決済を担い、会社が成長するための投資判断の一助となることができ、会社にとって心臓のような役割だと感じていました。より事業に直結していてそこが楽しかったです。
―経理本部でまた3年程お仕事をされて、入社6年目、中堅と呼ばれる立場に入ってこられて、どんなところにやりがいを感じられていましたか?
それくらいになると、自分で言うのも僭越ですが「井川に聞けば分かる」と、幹部層や経営層から自分に直接相談がくるという状況も出てきて、会社の中で一定程度重要な役割を果たせていると感じることができました。
また、プロジェクトリーダーとして、管理会計制度の改定や、様々な改善に取り組めたことも楽しかったです。
―プロジェクト単位でのマネジメントをされていた中で、実際には楽しさと大変さ、どちらの部分が大きかったですか?
当時は大変な気持ちの方が大きかったです。
人に仕事を任せるというのは大変だなという(笑)。自分の思った結果が出てこなかったり、自分がやった方が早いという状況が結構ありましたから。
でも任せないと後輩も成長しないですし、自分のリソースも限られてくるので…。
人を使いながらスケジュール通りに回していくというのは難しいと思いました。
―難しいと感じられながらもどんなふうにお仕事されていたのですか?
「プロジェクトを回していく」というものはおそらく最後まではできていなかったと思います。ただ、コミュニケーションラインをしっかり作り、メンバーに自分の役割をしっかり示してあげることは心がけていました。
―この後初めて転職をされますが、きっかけはどこにありましたか?
大きく2つあり、実務的なところでは、経理、財務に関わる多くの業務を幅広く経験してきて、一つ区切りがついたと感じたことです。
もう一つは、同僚が何人か立て続けにコンサル業界に行き、自分も新しい世界を見てみたいという漠然とした思いが強くなっていったことです。
―当時30歳という中での転職に関して不安はありませんでしたか?
どこかにはいけるだろうという思いはあったので、転職できるかどうかの不安はありませんでしたが、コンサルは未経験だったので、入ってから通用するかどうかの不安はありました。
―就職活動は上手くいったのですか?
書類を出して、面接も1回で内定したので、比較的スムーズでした。タイミングが良かったのだと思います。
―実際にデロイトトーマツコンサルティングへ転職ここに決めた理由はどんなところでしたか?
これも2つあります。一つはオファー条件が良かったこと、もう一つは面接が一番有意義だったことです。
面接というよりもディスカッションという形で、「前職の会社をもっと伸ばすにはどうしたらよかったか」というのをホワイトボードに書き出して議論をさせていただき、自分の中でこの会社で働きたいと感じることができました。
―デロイトでは具体的にどんな業務をされていたのですか?
コンサルタントとしてフロントに立ち、クライアントの課題に対して解決案の検討とその実行支援を行っていました。。
私が所属した組織はファイナンス領域、CFO領域のプロジェクトで、最初に担当したのが、経理・財務部門の業務改革やBPO推進によるスリム化と組織再編の検討でした。
―コンサル未経験という中で、どんなふうに知識を学ばれていきましたか?
クライアントに発揮する専門性という所では、前職で積み上げた実務経験が武器になりました。あとは会社組織がどのように運営されているか全体感が分かっていたので、最初からある程度バリューは発揮できたと思います。
そんな中コンサル業務で学んだのは、プロジェクトワークの進め方です。
厳しい納期の中で最大限効果を発揮するためのスケジュールの組み方、タスクへの落とし込み、そしてどのようなロジックでクライアントに訴求するのか、そのようなことを叩き込んで頂きました。
―キャリアグラフでは満足度が下がっていますが、これはどのような経験からですか?
転職前までは、パワポの資料を作る経験がほとんどなかったので、苦労したことが一つです。資料作成の品質とスピードはコンサルタントにとって非常に重要な要素になるので、大変でしたね。
あとは、プロジェクトのチームの中で経理財務の実務経験者が自分だけたったこともあり、自分の領域の仕事でハードワークになっていたのも一つの要因です。
―様々な苦悩をどんなふうに乗り越えていかれたのですか?
クライアントさんに喜んでもらって、自分の価値が発揮できた自覚はあったので、自分はこれを発揮すればいいのだなと思っていました。
―当時井川さん中では、今後どういったキャリアを描いていこうと考えられていましたか?
入社してみて、自分の実務経験が非常に活きて、お客様に価値を発揮できたのですが、反面自分の実務経験は年月が経つごとにどんどん陳腐化していくことは目に見えていて…。そうなった時に、陳腐化する経験値以上にコンサルとしてインプットし、アプトプットし続けなければいけません。全く実務経験のない同僚が、インプット力を駆使してしっかりクライアントに提案をしている姿を見て、継続的にコンサルとして活躍できるのは彼らのような存在だということをまざまざと見せつけられました。そこに挑戦していくという選択肢ももちろん頭にはありましたが、次第にここで学べるだけ学び、いつか経営の道に進みたいという気持ちは強くなってきました。
-次に転職されたのはそういう気持ちが大きかったからなのですか?
そこまで思い悩んでいたわけではありません。
まだ全然やれたと思いますし、転職時期を決めていたわけでもありませんでした。。社交辞令かもしれませんが、一応いつでも戻ってきてねと言ってもらっていました(笑)
でも、もともと経営者、CFOになりたいという思いがあった中で、今のセイワホールディングスがCFO候補を募集しているというツイッターでの募集を見て、DMを送りました。DMを送った当時の夜に早速ZOOMで面談して、その週の土曜日には当時住んでいた東京から名古屋に行き面談しました。これがベンチャーのスピードかと感心したのを覚えています。
―セイワ工業に魅力を感じた所はどんなところでしたか?
まず1点目は、キャリアとして目指していたCFOポジションがあったというところです。
更に愛知県出身で前述したような経歴の私からすると、名古屋を拠点としていて、そこで M&Aを推進し、資金調達や管理部門の整備という仕事を推進していくポジションは自分しかないだろうと運命的なものを感じました。
2点目に工業大学出身でものづくりが盛んな地域で育ってきており、ものづくりに関わりたいという思いが心の中でずっとあり、町工場の事業承継問題解決の一助になれるという部分も魅力的でした。
―転職後は経営推進本部長を担当されましたが、どんな部署だったのですか?
現在、弊社はM&Aを通じて製造業にネットワークを広げて事業を拡大しているのですが、当時からセイワ工業でのM&Aの推進をしたり、ホールディングスの設立準備をしていました。
―セイワ工業の経営推進本部長として、今までの経験のどういった部分が活かされたと感じていますか?
上場企業で仕事をしていた時の実務経験と、会計や税務や会社法の知識、また組織の全体感が分かっているというところです。
最終的には上場も見据えているので、ゴールの姿がある程度イメージできているのは大きいと思います。
―ここでキャリアグラフがぐっと上がりましたが、ここではどんなことがあったのでしょうか?
セイワホールディングスという新しい会社を設立して、事業の基盤が整い、今後更に事業が推進していくという環境にワクワクすることしかないという感じでした。
昨年はM&Aを複数件クロージングにさせてきましたし、資金調達の面でも成果を出せたと思うので充実した1年だったという感じです。
―現在、取締役兼最高財務責任者として活躍されていますが、具体的に今はどのような業務をされていらっしゃるのですか?
山のように仕事があるのですが(笑)、CFOとしては、会社として必要な組織や制度の整備、IPOに向けた準備、グループ各社の決算対応、M&A案件の検討、資金調達などです。
あとは、セイワホールディングスのグループ会社である、三陽電工の社長も兼務しています。
―社長としてはどんな役割を果たされているのですか?
全体の経営管理です。会社として目指す姿を定め、目標に対して戦略を立案し実行に移します。もちろん従業員一丸となり動くので、プロジェクトの進捗管理や軌道修正の判断などを行っています。
―現在三陽電工の社長さんになられて、夢が叶ったと感じられますか?
もはや今は、夢が叶ったという意識もなく、会社の社長としてどう自社を成長させるか、お客様に喜んでいただけるか、、従業員の皆が幸せになれるかということしかありません。
今までは、経理、財務というバッググラウンドでの仕事でしたが、マーケティングや営業など、今まで経験のない業務ができてとても楽しいです。
―現在CFOとグループ会社の社長という2つの役割を担われる中で、どこに一番やりがいを感じられていますか?
全部です。グループ会社経営であれば、利益がしっかり出せたという結果、CFOとしては資金調達もしっかりでき、事業承継ができましたという結果、結果が明確に見えるところです。
―CFOの立場として難しい点はどこですか?
今までは大企業の中での経験だったのですが、今は町工場の集団でもともとの管理レベルが全然違います。これをレベルアップしていくというのはめちゃくちゃ苦労が伴います。最初はカオスでした。
―大きな企業の一員、また町工場の集団の中のCFO、両方経験された井川さんだこそ思うメリットや楽しさとは何ですか?
専門性を極めるなら、学ぶ機会がしっかり整っている大企業がいいかなと思います。
幅広い分野に興味を持っていろいろなことを手掛けたいという人は中小企業やベンチャーに行くとスキルアップできると思います。
―これからCFOを目指す人に向けてメッセージをお願いします
CFOはCEOと二人三脚でやっていくことが多いと思うのですが、自分が信じたCEOを縁の下の力持ちとして支えて、企業を成長させられるのがCFOであり、それがやりがいになるのではないかと思います。
私自身は資格を持っているわけではないですし、有名大学を出ているわけではないですが、今の仕事は出来ています。
やる気と仕事をしている姿を見せれば、絶対にポジションはつかみ取れると思うので、学歴や職歴などに臆せずに、自分自身を信じて頑張ってもらいたいです。
―キャリアを重ねてこられた中で井川さんはどんなところに軸を置いてこられましたか?
自分の根底にずっとあったキーワードは「全体感」と「調整力」です。
具体的には「三方良し」の精神で、自分のことだけではなく、それが何に繋がっているのかを考え、上流工程、下流工程に影響を与えることを意識して今まで仕事をしてきました。
―これから5年後10年後、井川さんはどのようになっていたいですか?
事業承継というテーマでビジネスをやっているので、自社においても後輩をしっかり育てて自分たちの後を担ってもらい永続していける組織にしていきたいと思っています。
製造業、町工場は本当にすごいんです。職人さんもすごく卓越した技術を持ってます。
是非興味を持って見て頂き、転職の選択肢にも入れて頂きたいと思います。
ー本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
本日お話をお伺いした、セイワホールディングスのHPはこちら! /取締役 井川径成氏のTwitterはこちら!