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新しいことに挑戦するのは苦手。それでも監査法人、コンサル、事業会社と果敢に挑戦し続けられる iCARE執行役員CFO加藤浩司氏を支えるものとは?

HUPRO 編集部
新しいことに挑戦するのは苦手。それでも監査法人、コンサル、事業会社と果敢に挑戦し続けられる iCARE執行役員CFO加藤浩司氏を支えるものとは?

「プロフェッショナルになりたい」との思いから高校生で公認会計士になると決めた加藤浩司氏。監査法人やコンサルティング会社でプロとしての経験を積んでから、事業会社のプロダクト部門に転職します。未経験の分野にも果敢に挑戦し、2021年にはiCAREのCFOに就任しました。「本当は新しいことをするのが苦手」と語りながら、自分の思いに忠実に歩んできた加藤氏のキャリアと仕事への思いについてお話を伺いました。

【経歴】

2002年 公認会計士第二次試験(当時)合格
2004年 早稲田大学商学部卒業 監査法人トーマツ入所、グローバルサービスグループ所属
2009年 フロンティア・マネジメント株式会社入社(2018年まで在籍)
2014年 イースター株式会社取締役就任
2016年 株式会社ロピア代表取締役就任
2018年 メドピア株式会社入社
2021年 株式会社iCARE入社

【キャリアグラフ】

未来を創る仕事がしたい――監査法人での経験と葛藤

―公認会計士の資格を取得しようと思った経緯について教えてください。

初めて会計士の存在を知ったのは高校生のときでした。3年生に進学する前の春休みに地元の図書館で職業関連の本を読んでいるときに見つけて、面白そうだなと思ったんです。なんとなく、学生時代からなにかのプロフェッショナルになりたいという思いがありました。

プロになりたいなと思いながらいろいろと職業を調べる中、当時数学や物理といった数値系の科目が好きだったこともあり、会計士をやってみたい、目指そうかなと考えたのが始まりでした。私の高校は普通科でしたが、それから自分で簿記の勉強も始めました。大学も会計士の合格者数が多いところを選んで進学しました。大学では予備校にも通いながら勉強しましたね。

―大学卒業後、監査法人トーマツに入所されました。どのようなご経験を積まれましたか。

グローバルサービスグループというところで会計監査を担当していました。日本に本社を置いて海外でも上場している企業や本社は外国で日本に支社をもつ企業などの監査をしている部署です。私は日本の銀行や海外の銀行の日本拠点などを受け持つことが多かったです。監査法人にいる間はこの部署で経験を積みました。

今振り返ると、比較的若いときからチームの責任者を任せてもらう機会があったのはよかったなと思いますね。監査法人は、入社4~5年目の社員が現場の責任者を担当することがよくあります。そのころから自分よりあとに入社したメンバーが数人いるチームで仕事をするんです。それも仕事がプロジェクトベースなので、数年同じ人と仕事をするというよりは数カ月単位で別のチームで業務に就きます。

若いうちから責任者を受け持ち、かついろいろな人と仕事ができたのはいい経験でした。監査法人を辞めてから10年以上経ちますが、当時の同僚たちが様々なところで活躍しているのを見るのも嬉しいですね。

―監査法人で働くなか「未来を創る仕事がしたい」という思いを抱くようになったと表現されていますが、なぜそう思ったのでしょうか。

会計士は、社会的意義のある大事な仕事だと思っています。ただ、個人的には自分じゃなくてもいいかなと思うわけです。顧客がいろいろと取り組んだ結果、完成した決算書が正しいかどうかあとから追っていく仕事ですから、当然ですが、その段階で何かあったとしても顧客がやっている前段階の部分は変わらないんですよね。だから、価値を生み出している前段階のところに直接関わりたいと思ったんです。

会計士は顧客からお金を受け取って日々顧客と接しながら仕事をします。ただ、誰のために仕事をしているのかというと顧客のためではなく、たとえば監査をする人がいるから証券市場が成り立っているわけです。誰のためにやっているのか見えにくいですよね。そこがモヤモヤするところでした。入社して最初のうちは目の前のことに必死でしたが、現場の仕事にある程度慣れてきて考え出すようになりました。

地道に引き出しを増やしたコンサル時代 重圧からオフィスで涙も

―その後、コンサルティングファームのフロンティア・マネジメントに転職されます。なぜコンサル業界を選んだのでしょうか。

高校時代から変わらず、プロになりたいという思いが根底にありました。自分の腕で仕事をしたいという思いから、それなら専門性を持つべきだという考えに至り、コンサルティングや投資銀行に興味をもちました。私が入社したのは設立して間もない会社だったので、いろいろできて成長につなげられそうだなと思ったんです。新しい会社のほうがいい意味で無茶ぶりされるじゃないですか。

―コンサル業界ではどのような業務を担当されていましたか。

2社目には10年ほど所属していましたが、前後半で全く違う仕事をしていました。前半はM&Aのアドバイザーをしていました。顧客のM&A戦略を練り、買収先を調べて交渉をサポートしました。そのあと希望を出して異動し、後半はいわゆるハンズオン型のコンサルですね。ファンドの投資先企業に経営陣の一員として加わり、企業価値を向上させる業務に従事していました。

28歳のときオフィスで泣いてしまったことがあります。私にとっては入社して実質2つめのプロジェクトでした。担当した会社の業績が悪く、銀行への返済もできない状態でした。

私は事業計画を作る役目で、この計画通りやるので返済を待ってくださいと弁護士と一緒に銀行を回りました。通常、取引金融機関は数社が相場だと思いますが、数十社あったんですね。理屈上、金融機関が同意してくれなければ担当した会社は潰れてしまいます。そのプロジェクトはもちろん私個人でやっているわけではなく、チームでも一番若手でしたが、プレッシャーを感じてしまってつらかったのでしょうね。必要以上に気負ってしまいました。結果的にはうまくいきましたが、心に残っている経験のひとつです。

―ファンドの投資先企業でご自身として初めて役員に就任されました。役員になってからの一時期を「何もわからん」と表現され、キャリアグラフも下降していますが、振り返ってみるとどのような状況でしたか。
経営陣として派遣された企業の一社目でした。その会社も例に漏れず業績が悪いところで、お金がありません、今月の25日にはどうなるのか、というくらいタイトな状況でした。3人のチームで派遣されたのですが、私が最も責任の重いポジションを任されていました。

ただ、異動したばかりだったので、3人のなかで一番年次は上なのに経験は最も浅かったんです。これは結構、つらかったです。異動前は全く違うことをやっていたので引き出しがなかったんです。経験を積んでいると、プランAでやりたいけどだめならB、それもだめだったらCだよねというスタンスで取り組むわけですが、私はBやCを持っておらず、Aしかない、それがだめだったらどうしようという状況が毎週やってきます。それに、顧客からしてみれば経験のあるなしに関係なく、成果が出るかどうかが重要だったので重いプレッシャーでした。

私たちは外部から経営層に入っていきますが、売上があがらないときは営業の部署にも動いてもらわないといけません。そこでどんな策がいいかは会社によるもので、成功の法則ってないと思うんです。模索するしかないときに武器がないのはつらいですよね。悪いスパイラルに入ってしまうと悪くなってしまう。そういうことってあると思います。

―悪いスパイラル状態からどのように抜け出したのでしょうか。

特別なことはしていません。ひとつひとつ地道に成果を出して顧客から信頼されていきました。顧客先の営業部長と方針の違いから衝突し、本気で怒ったこともあります。でも、それを超えると人間関係が強固になることもあります。そうしたことを積み重ねて引き出しを増やしていきました。年齢でいうと顧客のほうが二回りくらい上ですから、言いにくいところもありましたが、やれることはなんでもやろうという気持ちでした。感覚ではなく客観的な事実に基づいて説明したり、銀行と一緒に話をしたり。部長がだめなら副部長から話をするとか、使える策はなんでも使っていました。

転職し「守り」から「前線」へ 未経験のプロダクト部門で培ったチーム力

―コンサル業界からヘルスケア関連のメドピアに転職されました。これはどのような経緯だったのですか。

ファンドの投資先に派遣されながら、いろいろと思うことがありました。もちろん派遣された先では全力でやることに取り組みます。ただ、この仕事の特徴の一つとしてなんの会社の仕事をするか自分で選べないという点がありました。ファンドが投資して依頼がくれば基本的には受けるので、自分が関わる産業・業界を選びたいと思うようになりました。

それまではプロ志向でしたが、手に職をつける段階は一区切りついて、自分の興味のある領域で事業を伸ばすほうで働きたいと思ったのが一つでした。もう一つは、それまで会計士やコンサルタントという会社を守る側にいました。営業や商品をつくる前線に入ったことがなかったので、やってみたかったんです。ヘルスケアは興味のある分野の一つでした。社会的意義があると私自身が思える仕事がしたかったんです。

メドピアに移る前は、1~2年ほど細く長く転職活動をしていました。業務に比較的余裕のあるときに興味のある会社の人と会い、プロジェクトが忙しくなると当時の仕事に集中する、というサイクルを長く続けていましたね。私のキャリアだと、経営企画など管理部門系の人を探していますというお話をよく頂きました。会社の前線の仕事というとなかなかないわけです。逆の立場だったら私も経験のある人にやらせたいと思うでしょうから気持ちは分かります。コンサルの仕事も面白かったので、焦る必要もないと思いじっくり探しました。

メドピアにはコンサル会社で同僚だった人が働いていて、仲が良かったんです。いろいろと話すうちにとりあえず副社長に会ってみないかと聞かれて会うことになりました。副社長に何をやりたいのか尋ねられて事業側をやってみたいですと答えると、営業とモノをつくるのとどっちがいいかと聞かれました。モノを作るほうですかねと言うとじゃあそれでいいじゃん、と。それから社長面接をして、入社が決まりました。

―メドピアではこれまでとは違うプロダクト部門に所属されましたが、どのような業務を担当されていましたか。

私はウェブメディアの企画・開発・運営をしてユーザーを増やすチームの責任者をしていました。ウェブサービスといってもいくつかのプロダクトに分解できますが、それぞれのパートにマネージャーがいました。マネージャー、エンジニアやデザイナーたちと一緒に業務に取り組んでいました。

―入社後の日々を再び「何もわからん」と表現されていますが、どういった状況でしたか。また、それをどのように乗り越えたのでしょうか。

最初は本当によくわかりませんでした。ウェブの業界にいたこともなければプロダクトを作ったこともない。もっと言えば、エンジニアと仕事をすることも初めてでした。喋っている用語もよくわからなかったんです。開発の進め方もデザインのいろはも知らなかったので、結構苦労しました。

ですが割り切って言うと、私がこうした業界にいたことがないというのを皆知っていましたから、分からないことを素直に聞けたのはよかったかもしれません。ベースはきちんと身に付けることを前提として、別にその道を期待されて入社しているわけではなかったので。例えば、ユーザーを1年で3倍に増やすにはどうしたらいいかという問いが投げかけられます。そうすると、これまでの延長では無理なので何か策を打たないといけない。そこで必要なのは必ずしもウェブの専門的な知識ではないわけです。私も個々のサービスの改善にはずっと取り組んできましたから、その経験が活かせます。実際、文字媒体だったのを動画の媒体にがらりと変えることにしました。しかし自社だけではできないので、どこと組めばいいかなどいろいろと戦略を練りました。

こうした形で、苦手なところは苦手と割り切り、自分の得意なところに注力していました。チームにはマネジメントが得意な人、医療系の知識が豊富な人、優れた技術力がある人などがいます。コンサル時代には専門じゃなくても自分で解決しなければならない場面が多かったのですが、自分の役割を見つけて得意な人に任せたらいいんだと発想が切り替わりました。

iCAREを選んだ決め手。やりがいは腹落ちと人の成長

―2021年1月にiCAREに入社されました。どういう経緯だったのでしょうか。

ウェブのプロダクトをつくる経験を積み、何もわからなかった状態からある程度理解できるようになりました。その道を今後も究めるかと考えたとき、違うと思ったんです。ここから先はセンスの領域だ、と感じました。社内にはそうしたセンスやスキルのある人がたくさんいました。そうした人たちを見ていて、5年後10年後、自分が取り組むのはここではないと思いました。じゃあどんな業務をするのかと自問し、やはり15年ほどやってきたコーポレート側がいいと思いました。自分が興味のある分野で、もともとやっていた業務にある意味で戻ろうと決めました。

iCAREの存在は知っていました。調べるなかで面白そうだと思い、代表の山田(山田洋太代表取締役CEO)にTwitterのDMを送って自分を売り込みました。こんなことをしていました・こんなことをやりたいです・会いませんか、と簡単に言うとそんな内容です。山田から是非会いましょうという返事がきて、オンラインで面談をしました。その面談でもう少し話を進めたいですねと言ってもらい、当時渋谷にあったオフィスで他のメンバーとも会いました。

実は具体的に仕事の話を聞いた会社はiCAREを入れて3社ありました。1社は事業内容に惹かれる度合いがほかの2社に比べて弱いかなと思い、辞退しました。2社はかなり悩みました。もう1社の代表の方にもお会いしましたが、自分がウェブページなどから想像していたイメージと少し違っていたんです。悪いことではありませんが、パッションにあふれる会社だと思っていたら意外とビジネスライクな雰囲気が強かったんですね。そのギャップに違和感を抱きました。

山田にはその違和感がなく、創業者らしい感じがしました。私はトップとナンバー2がいるとき、役割が棲み分けられていたほうがいいと思っています。片方が日々の業務をきちんと管理できる人なら、もう一方は将来を語り社員をモチベートできる存在であるといい。山田はその棲み分けができているという印象を受けました。

―iCAREでのこれまでの業務内容について教えてください。

私は経理、人事、情報システムなどのコーポレート部門の責任者として入社しました。経理にも人事にも責任者がいるので、全体をカバーする業務です。2021年の秋に執行役員CFOに就任したので、いまは兼務している状態です。入社時からチームのメンバーも2倍に増え、各領域内で仕事が完結できるようになってきました。会社の成長に伴い、事業面でも財務面でも、より長い目線の戦略に時間を割けるようになりつつあります。

―加藤さんにとっていまの仕事のやりがいは何でしょうか。

一つは、自分自身が会社の事業の価値に納得できているということです。私はこの会社が成長すれば、世の中もハッピーになると考えています。これは働く人にとって当たり前のようでそうではありません。自分のなかでこの会社の価値に腹落ちした状態にある。これはどんな業務をやるにしてもモチベーションの根っこにあります。
あと一つは、これまでプロフェッショナル・ファームにいた期間が長く、人を育てるという感覚が薄かったんです。iCAREでチームとして働いていると、自分より経験値の少ないメンバーが成長していきます。その様子を見ているとやりがいを感じますね。

―採用人数も増えているフェーズだと思いますが、iCAREにおいて加藤さんが一緒に働きたいと思うのはどのような人ですか。

私は意志のある人と一緒に働きたいと思っています。私自身が全く異なることをしてきた経験から、やったことがないからできないということは多くの場合ないと考えています。自分はこう考える、だからこれがやりたいんだという思いのある方に来て頂きたいですね。iCAREのようなこれから成長していく会社では受け身だと難しいかもしれません。能動的な、ちょっとはみ出るくらいの人がちょうどいいと思います。

―今後の加藤さんのキャリアプランについて教えて頂けますか。
自己研鑽が必要という思いはもちろんあります。ですが、私はあまり自分と会社を区別して考えていないんです。会社の事業が成長してやろうとしていることを実現させていく、そこにできるだけ貢献していきたいですね。そうすれば、自分の成長も自ずとついてくると思っています。

リスクを取るのは苦手。それでも挑戦できるのは

―最後に、公認会計士資格の取得を目指している方や読者に向けてメッセージをお願いします。

将来何をやるにせよ、会計士資格など自分が拠って立つところがあることは非常に意味のあることだと思います。実は、私の性格はリスクを取るのが好きという訳ではなく、根っこでは新しいことにチャレンジすることは苦手です。ですが、これまでに色々なことに挑戦することができています。それは、なんとかなるでしょと思っているから。会計士資格があれば食いっぱぐれないので、資格を保険としているからトライできているんです。これで自分は大丈夫だ、というものを若いうちに一つ持っておくのはいいことだと考えています。それで心理的な面での健全な状態を保つことができますから、いろいろなことに挑戦してちゃんと自分に合うものを見つけていけるんじゃないかなと思います。

―本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。

今回お話を伺った加藤浩司氏が執行役員CFOを務める株式会社iCAREのホームページはこちら

この記事を書いたライター

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