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深い穴を掘るためにはまず広い穴を掘れ。株式会社Schoo取締勇介役CFO中西勇介氏が目指す「大人になっても学び続ける社会」

HUPRO 編集部
深い穴を掘るためにはまず広い穴を掘れ。株式会社Schoo取締勇介役CFO中西勇介氏が目指す「大人になっても学び続ける社会」

老舗企業や金融機関、スタートアップ企業など多くの現場でファイナンスを専門にキャリアを積んできた中西 勇介氏。
現在は株式会社Schoo(スクー)で取締役CFOを勤め、「インターネットでの学びや教育を起点とした社会変革」に取り組んでいます。
若い頃からPMIやターンアラウンドなど数々の難局を乗り越えてきた中西氏のキャリア変遷と今後の目標についてHUPRO編集部がお話を伺いました。

【中西氏のご経歴】

2003年 (株)白元入社
→子会社PMI担当
2006年 (株)親和銀行入社
→融資業務担当
2009年 (株)白元復帰
→IPO準備、MBA取得
→ターンアラウンド業務、CFO就任
2015年 (株)ミスミ入社
→事業部マネジメント
2016年 (株)サイカ
→CFO就任
→2回目の大学院でみっちりファイナンス
2020年 (株)スク―
→CFO就任(現在)

【中西氏のキャリアグラフ】

鶏口牛後の思いで選んだ就職先で、新卒ながらPMIを任される

ー新卒で白元に入社されて、PMI(M&A後の統合プロセス)を任されるまでの経緯を教えてください。

就職先選定の軸の1つとして「鶏口牛後」を意識していました。
多少スケールが小さくても自分が先陣を切っていけるような会社に魅力を感じていたからです。

はじめの3ヶ月は営業配属でしたが、ルートセールスが多く、あまり面白さを感じませんでした。そこで営業の移動中の電車内で経営学に関する本を読み漁り自分なりに経営を勉強しました。そのような努力もあって経営企画部門に異動になり、買収したばかりの売上高数十億円規模の製造販売会社のPMIを任されました。やっと社会に順応してきた新人の頃です。

ー具体的にはどのようなお仕事されていたんですか?

本社からその子会社に長期出張で現地入りして、1年で黒字化をするということを目標に、製造部門のコストの見直し、製造ラインの動線の改善、価格設定の変更を含めた販売方法の見直しなど全て一からやりました。

PMIのような仕事は、本来は経験を積んだ人材じゃないとできないわけです。それを社会人経験の少ない人間がやることになったわけで、やはり難しさを感じました。

ーPMIが成功した要因は、何だったのでしょうか?
運良く「教科書」に巡り会えたことです。『V 字回復の経営』という経営小説でした。筆者の三枝匡さんは当時株式会社ミスミの社長で、実はそこは私が後に入社するところです。この本は、電車で学んだ経営学から一歩進んで「本質的な知識」と「実務」を繋ぐ架け橋のような役割を果たしてくれました。

あとは信頼関係です。買収される側は不安なんです。だから信頼関係が重要です。それを築くためには、自分が真剣に取り組んで相手に対して何か価値を提供する必要があります。価値を生むためにはインプットが必要なので、そういう学習を怠らずにできていたことは、成功の鍵となりました。学習の重要性を認識したことは現職の入社の動機の一つでもあります。

ーその後、退職して銀行に転職するということですが、どういうきっかけだったのですか?
若気の至りで当時の社長に自分の思う経営論をぶつけて受け入れられなかったことです。主な内容は2つです。1つ目は、バランスシートの問題点です。M&Aのために銀行借入れによるレバレッジをかけすぎてDEレシオが悪化していました。白元は上場をしてるわけではないので、資本増強の手段が限られていた。ともすれば過少資本になってしまうというリスクがありました。拡大という投資行為にデッドで望むのは危険という僕の主張です。

2つ目は販売方法の問題でした。在庫を非常に多く持たざるを得ない業界慣行のビジネスモデルであったため、キャッシュ・コンバージョン・サイクルが悪く、売上成長率が落ちると資金繰りが苦しくなるビジネスモデルでした。そうするとYoYで成長を維持するためにリベートがかさみ収益構造も悪化するから、一度、売上至上主義から離れて利益の質を追うべきであるというのが僕の主張です。今考えれば生意気な小僧だったと思いますが、当時の社長は耳を傾けて聞いてはくれましたが、受け入れてはくれませんでした。それがきっかけで他所の会社がどのような意思決定をして経営をしているのかを知りたいと思い転職することにしました。

金融機関を経て、ターンアラウンド(事業再生)に取り組む

ーその後、金融機関にお勤めになられたんですね。そしてまた白元に戻られるわけですが、どうして戻ろうと思ったのでしょうか?

地元長崎の親和銀行に入り、平和な日々を送っていた時に事件があったんです。議論を交わした白元の社長が亡くなってしまったんです。そして、当時副社長だった方が社長になったのですが、3年間の銀行で学んだことを新社長と対話し、自身が銀行で学んできた学びを還元できると思い、白元に復帰しました。復帰すると財務諸表等の資料に目を通しましたが、私が3年前退職するときに指摘していた以上に財務状況は悪化していました。

白元はオーナー企業で社長も幹部も創業一族が多く、外の空気を吸っている経営人材はあまりいませんでした。そのため銀行での経験は復帰後の考え方に大きく影響しました。銀行に転職する前、白元社内はロングセラー商品のアイスノン、ホッカイロなど競争力の高い商品が多かったためかアットホームで、激しい競争環境が外にあることの認識が希薄でした。しかし、その競争の責任を亡くなった社長が創業一族として抱え込んでいたんだなと思うと一層の敬意を抱きました。一度、外に外へ出たことによって競争環境の中で今後どのように経営をしていくべきか、そのための財務体制がどうあるべきかを考えられるようになったところは大きいと思います。

ーその後、IPO準備をするということは悪化していた業績を立て直すことができたということなんですか?
復帰直後はバランスシートに問題はあったものの、業績は過去買収した子会社がマスクを販売しており、新型インフルエンザが大流行したためマスク特需が起きて業績は好調でした。その好調な流れでIPOの計画もありました。ところが、特需は長続きしないもので、会社の悪い癖で在庫を持ちすぎたことで、結果的に財務の健全性は悪化しました。それを機にIPO準備からターンアラウンドに方向転換したんです。

ターンアラウンドは金融プレイヤー内の常識だけでは通用しない難しさを感じました。それは、人が絡むがゆえに人の感情など理屈を超えたものに配慮しなければならないことです。例えば工場を売却する場合、金融だと単に「モノとお金の交換」になります。ところが、働いている人からすれば作っている製品・工場・仲間には思い入れがあるわけです。だから感情を考慮しなければなりません。ちゃんとなぜ売らねばならないのか、売った後にみなさんはどうなるのか説明が必要です。経営は論理だけでは上手くいきません、そこに常に人が絡むことが難しさであり、その難しさをなんとかして克服し上手く行かせることが金融プレーヤーではなく事業会社で働くことの醍醐味であり自分自身の経営力の成長であると思いました。

ー人の気持ちというのが一番大事になってくるということですね。
そうですね。極限状態に追い込まれると、人は負のスパイラルに入ってしまうので、その前に何とかしなければいけないと強く感じました。

もう1つは、極限状態において教育というものがすごく大事だということも感じましたね。自分は銀行の現場や書籍・資格の取得、早稲田大学のMBAなどで勉強するチャンスがありました。だからこそ逆境にも耐えられたと思います。学びによるリテラシーを保つことで”なんとかなる、なんとかする”自信を担保しました。

ー30歳そこそこで老舗企業の取締役CFOに就任し民事再生を行うのは精神的につらいこともあったと思いますが、気持ちを保つことができたのはどうしてですか?
1つは、ある意味では今まで過保護に育てられてきた従業員の人達をいきなり放り出すわけにいかない、この人たちを犠牲にするわけには行かない、という責任感があったからです。
もう1つは、100年近く続いた白元のロングセラー商品、例えばアイスノン、パラゾール、ミセスロイドなどを販売継続して世の中に残したいという気持ちでした。
それはたとえ自分が悪役になってでも守り抜かなければならない使命だと思いました。当時は火中の栗を拾わざるを得なくなった自分を不器用だと後悔しそうになって心が折れかけたこともありましたが、使命と思い、とにかく当時は必死でやっていました。今思えばとても貴重な経験をさせていただいたと思っています。

収益部門を経験し自分の適性を再確認。スタートアップ企業に入社

ーその後、事業サイドの経験を積むためにミスミさんに転職されたのですね。
今までは企画管理部門として、事業サイドに数字目標の達成やコスト削減を依頼する立場でした、民事再生が終わりアース製薬さんにイグジットし役割を終えたと考え、これからの自分の人生を考えたときに逆の立場の事業サイドの経験をしてみたいと思いました。そこで以前、PMIをしていたときに教科書にしていた『V 字回復の経営』の著者である三枝匡が社長をする会社って実際どのような経営が行われているのか知りたいと思いミスミにマネージャーとして転職しました。ミスミでは事業サイドにいながら、コーポレートサイドのことも考えていたように思います。事業を遂行しながらも管理上のリスクや改善点をコーポレート部門に行っては指摘する変な社員でした。

ミスミの1年で、私は後方支援部門として前線の皆さんを支援する方が得意であり、その方が自身の価値を最大発揮できるということが分かりました。これもいい経験です。

ーその後、サイカに移る時に管理部門に戻られたんですね。なぜスタートアップ企業に転職しようと思ったんですか?
やはり「鶏口牛後」の精神でしたね。過去の自分の経験や MBA で学んだことを実践で活かしたいという思いが強かったんですが、大企業だとそれが難しいので、白地で自らが主体的に構築ができるスタートアップ企業に飛び込みました。自らの手で事業を大きくしていきたいというのがモチベーションでした。

サイカでは、バックオフィスの体制を整えていくのも大事ですが、まずはビジネスモデルを確立することが先決でした。最初は管理部門を担当していたのですが、途中で営業部長も兼務し社長と事業を作っていきました。

苦労も多かったですが、大事にしていたのはアウトプットすると同時にインプットもちゃんとするということです。スタートアップにはスタートアップの戦い方があって、今までと頭を切り替える必要があります。だから、 書籍での勉強は今まで以上にすることはもちろん、VC の方や他社のスタートアップの方に聞いて学ぶことで実践知を蓄えて日々の経営活動に応用していきました。

ーインプットの大切さを感じたことが、大学院でファイナンスを勉強するきっかけになったんでしょうか?
銀行員時代、MBA時代にもファイナンスは学んだのですが、専門家と胸を張るって言うには深さが足りず、一流の投資家の方々・金融プレーヤーには対峙できないと考えました。そこで一橋のファイナンス専門の大学院で学びを深めました。

ー一橋の大学院で学んだことが、サイカで活躍される上で生きたことはありましたか?
どちらかというとスクーに入って生きたかもしれません。大学院では、ファイナンスを統計的・数学的基礎からみっちり勉強することができました。これにより経営において重要なデータに基づいて意思決定や説得をするリテラシーが身についたと思っています。また修士論文の提出も必須であったため海外論文を読み修士論文も執筆しました。これによりファイナンスの理論的な基礎体力もつけることができました。

世の中へ何かを残したいと思い、スクーへ

ー世の中に何か残したいと思って今のスクーに入社されたんですね。
40歳の節目が近づいたときに自身の中に大きな問いが生まれました。私はこの世に生きたという証をどのような形で残すことができるのだろうと。そう考えたときに例えば孔子や仏陀の教えは死後2,500年経った今でも人々の間で生きています。自分もそういう後世まで伝えられていく教えや考え方を生きた証として残したいと思うようになりました。それは人生の節目で自分自身が成長できた困難を克服できたのは「学び」のおかげであるという原体験があるからだと思っています。

そのことが現職のスクーに入社するきっかけにもなっています。勉強が得意な人は放っておいても勉強をする習慣が身についているので不足や課題を感じたときに勉強をします。だけど、それはほんの一握りの人であって、胸を張って得意と言えるひとは多くはない訳です。そういう人にインターネット学習という手段を通じて、一人ではなくみんなで学校に通う仲間同士のように楽しんで学習できる場を提供し、社会課題の解決に向き合うスクーの事業に共感し、入社しました。

ーこれまでも、そしてスクーのCFOとしても資金調達をしてこられましたが、その難しさは何でしょうか?
スクーによる社会課題の解決という社会性と、社会課題の解決の過程で株式会社として利益を出していく経済性が両立していくロジックの構築です。投資家のみなさんも儲かる先に投資をしたいというのは当然ですので儲かりますよと論理的に説明をする必要があります。一方で、近時では儲けるだけで終わりではなく、投資により社会的に有益な事業を構築する先に投資をしたいと考えるようになってきています。

元来、教育はなかなかお金になりにくい分野の一つでした。しかし、スクーでは社会性と経済性を両立した企業を実現していきます。そのことを論理的に説明し、KPI実績や将来のプロジェクションを用いてご理解いただくことが重要であり、難しさであり、やりがいですね。

ーそのなかで特に意識したことはありますか?
会社代表であり起業家である森の考えを的確に投資家に伝えるということです。森はアントレプレナー(起業家)ですから、彼の思考、発想というのは一般常識的なものではないんです。逆に誰もが発想できないからこそそれがすごく貴重で、起業家の最も重要な必要な要素と考えています。

だから私の役割は、森の目指すところを文字にし、数字に落とし込んで、目に見える形にするということでした。投資家に対して共通の言語を用いて起業家の考えを伝えるという意味では「翻訳家」と言ってもいいかもしれません。

ー現在のお仕事の中でのやりがいを教えてください。
日本では学校を卒業した後はみんな学ぶことをやめてしまう現状があります。それにより自分の可能性を狭めてしまい、物心ともに豊かに暮らせていない人が多いと感じています。このことは個人にとどまらず国家レベルでの損失を招いていると感じています。それに対してスクーという会社が「大人の学び」を後押しし、大人が当たり前のように学びを手にしている状況を築けた先には豊かな未来が待っていて、その未来を築くために今の仕事をしています。

実際に事業の進捗として、スクーの考えに共感し使ってくださるお客様も増えてきているので、その未来が現実に近づいている実感が日々大きくなってきています。それが一番のやりがいですね。

今後のキャリアとバックオフィス人材へのアドバイス

ー5年後、10年後、スクーという組織として、また中西さん個人としてどうなっていたいですか?
先程も申しあげた通り、日本では、教育分野という社会性と資本主義の中での経済性が両立しにくい現状があります。だからスクーとしては、それを両立させたシステムを作っていくことが一つの目標です。いまはオンライン教育事業が軸ですが、今後は本業から派生した事業がたくさん生まれてくる予定です。そのときにも対応できるように、常日頃から学習し広さと深さを磨いていきたいです。

個人としては 端的に言うと「教える立場」になりたいと思っています。いまは現職で手一杯で、5年、10年先で実現できるかわからないのですが、大学や大学院、もしくはビジネススクールで理論と自身の経験の融合知を教えられるようになりたいと考えています。

今、日本では国をあげてアントレプレナーを輩出しようとしています。イノベーションを起こしたいんですね。しかし、優秀なアントレプレナーを排出すると、同じく優秀な「翻訳家」の数を増やしていく必要があります。だからこそ、コーポレート・ファイナンスを理解した経営参謀を育成することがすごく重要だと私は考えています。

ー今後、管理部門でキャリアアップしたい人、管理部門にキャリアチェンジしたい人向けに何かアドバイスをお願いできませんか?
専門性を高めるために色々勉強すると思うのですが、やはりまずは幅広い分野を学ぶことを勧めたいですね。これからバックオフィス人材が経営参謀になっていくということを考えると、MBAとまではいわないまでも、経営に関する色んな知識を持っておく必要があります。その上で、自分が選んだ分野で深い専門性を追求していくと、オリジナリティがあって非常に希少性の高いキャリア形成ができるはずです。

ただ、個人のキャリアアップだとか、この瞬間のお給料にこだわりすぎないことが大切だと思っています。まずは自分自身の外に対する有益性を発揮すること、そうすると周りが自然に認めてくれてそれにふさわしい待遇になっていくはずです。そのためには愚直に勉強をし、自ら進んで経験を積みに行くことが重要だと思っています。

また、私は今この瞬間に仕事をしていて、イキイキ働けているということが自分自身にとってもメンバーにとっても大事だと思っています。また、今だけでなく明日の仕事を考えたときにも”ワクワク”することができれば、すごく良い組織になると思っています。それは上から与えられるのを待つのではなく、自らの考え方や行動で変えられると信じています。「今日をイキイキ、明日にワクワク」のマインドは僕のマネジメントポリシーでもあります。

ー本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。
お話を聞かせていただいた中西氏が取締役CFOを務める株式会社スク―はこちら!

この記事を書いたライター

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