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「新卒のレールから外れても26歳からでもキャリアは築ける」株式会社UZUZ 経営企画 羽原佳希氏のキャリア遍歴

HUPRO 編集部
「新卒のレールから外れても26歳からでもキャリアは築ける」株式会社UZUZ 経営企画 羽原佳希氏のキャリア遍歴

米国会計士試験2科目合格や、自身での会社・ブランドの立ち上げなど、豊富な経歴の持ち主である羽原佳希氏。初めての経験にも臆することなく挑戦する羽原氏の過去には大学院進学の断念や、就職して3か月で退職した経験もあります。
現在は株式会社UZUZで経営企画として活躍されている羽原氏のキャリアを築く上でキーパーソンとなったお母様の存在、苦手だった営業職を新卒で選んだ理由、羽原氏が思い描く今後のビジョンについて、今回HUPRO編集部がお話を伺いました。

【キャリアグラフ】

ダブルスクールで会計学の勉強を始めた学生時代、大学院進学を諦め就活に

―まず初めに、羽原さんの学生時代についてお伺いしたいのですが、会計学の勉強を始めようと思ったきっかけなどはあるのでしょうか。

投資家であった母の存在が大きかったですね。特別学級に編入するための試験を受けたことがあるぐらい知能指数が低かったのですが、小さいころから経済ニュースに囲まれて過ごしてきたので、数字を理解することに興味を持っていました。ビジネスの世界で活躍するには会計学を勉強するのが一番良いという安易な考えで、会計学を勉強することを目的に進学先は決めていましたね。

高校、大学一貫校に在学していたので、高校三年生の時には海外留学コースがある学部に行きたいと考えていました。無事、大学ではそのコースに進学して、同時にダブルスクールで会計学を勉強していました。また、留学先でも会計学を専攻しましたね。

―大学で経営学、経済学の授業を受けながらダブルスクールで会計学を勉強していた学生時代、一番大変だったことは何でしょうか。

スケジューリングですね。大学自体のカリキュラムが1限から5限まで必須で、三回さぼると単位を落としてしますという非常に厳しい環境でした。基本的に時間は拘束されていて、昼には大学で授業を受け、夜はダブルスクールで会計の勉強をしていました。みんなが遊んでいる間、自分は勉学を頑張っていたので、そのギャップが結構しんどかったです。

―20歳でアメリカの大学へ留学されたのですね。アメリカでの留学中にはどのような経験をされましたか。

IRAのボランティア活動を行いました。具体的な活動内容は、確定申告の手伝いです。アメリカは基本的に個人の確定申告がないので、低所得者などの申告書に必要なデータを借りて申告書に入力をしたり、手伝いをしたりしていました。この時、アメリカでの格差の大きさを感じましたね。

また、FXによって3日で180万円失いました。当時、私はFXで結構儲かっていたので正直調子に乗っていました。ところが、リーマンショックが起きて一瞬で180万円が消えてしまったんです。この時はグラフを見て絶望しましたね。でも、原資は先に回収していたので、この頃からリスクコントロールに対する考えは最低限できていたと思います。

リスクに対しての向き合い方は、母から幼い頃より言われていて、母の言っていることがなんとなく理解できるようになったのは高校生の時です。母との会話は経済や投資の話が大半で、そのような話をすることが当たり前になっておりました。結婚して妻が私の実家でご飯を食べる時に経済の話ばかりしてるので、驚かれて、初めて自身の家庭環境が異常だということに気が付きましたが、今となっては幼い頃よりそのような教育をしてくれたことに感謝しております。

―21歳でアメリカでの留学を終え、日本に戻られてから米国会計士試験2科目に合格されたのですね。この時、4科目のうち2科目のみ合格していることに理由はあるのでしょうか。

私が合格した2科目については授業で取っていて勉強していたので、この科目なら合格できるだろうと思い受験しました。米国会計士試験は全部で4科目あるのですが、残りの2科目はどうしても勉強したいと思えず、放棄しました。管理会計や財務会計のようなお金を生むことについて学ぶのは好きだったのですが、監査論や税務会計は面白いと感じることができず、勉強することができませんでした。

―この後、勉強が嫌いになり大学院進学を諦めて就職を検討されたとありますが、これにはどのような理由がありましたか。

大学院進学を決めた当初は進学に向けて勉強していたのですが、税務会計や監査論の勉強をしていると嫌になってしまい、大学院に進み、勉強を続けることから逃げてしまいました。

就職して3か月で退職、そしてUZUZとの出会い

―23歳に大学院進学を諦めて就活を始められていますが、この時に就職先を営業職と決めていたことには何か理由があったのでしょうか。

私は相手が言っていることを理解できなかったりすることがあって、そういった人とのコミュニケーション能力を鍛え直したいなと思い、営業職を選びました。私は中学生まで本当に何もできなくて、授業中も落ち着いて座ることもできないような子供でした。

高校生になって人並みに勉強できるようにはなりましたが、相手の言っていることがいまいち分からないことが多くありました。自分の苦手なことを克服したいという思いが、営業職を選んだことに繋がっていたのだと思います。

―できないことを目の前にして挑戦する強さが素晴らしいです。24歳に大手人材会社に就職されて3か月で退職したとありますが、これにはどのような理由がありましたか。

私は高校時代からは成功体験が多く、頑張っているのに成果が出ない、自分の思うようにできないという挫折を認めることができず、急激にメンタルが落ちてしまいました。私は実家が関西なので、上京する時に「実家には帰らない、東京で頑張ってくるわ」と調子の良いことを親に言って実家を出てきました。

それなのに、できない自分に対する嫌悪感が強く、自分自身を認めてあげることができず自己否定が始まってしまい、鬱のサイクルにはまってしまいました。本当に目の前が真っ暗になった感じで、精神が病んでしまい入社して3か月で退職しました。

―退職されてから1か月間はどのような生活をされていましたか。

自分自身を認めることができなかったので、人と会うことが恐怖に感じて、明るい時間は外に出ることができませんでした。一回実家に帰ろうと決断しておりましたが、やっぱり帰るとなると怖くなってしまい、実家に戻るまでは1か月かかりましたね。

―そこから、現在働かれている株式会社UZUZとの出会いがあったということですが、アルバイトのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

転職活動の際に、UZUZに登録したことがきっかけになります。東京から関西に戻る前に、実家に戻ったら甘えてしまうとわかっていたので、親の元に戻るのも2週間だけと決めていました。転職活動は東京でしようと考えていたので、第二新卒向けの転職サポートを行っていたUZUZに登録しました。

その時に、現在は引退されている旧代表に面談をしていただいたのですが、話しているうちに「うちでアルバイトしながら就職先を決めたらいいじゃん」と提案していただき、UZUZでのアルバイトが決まりました。

―UZUZでのアルバイトでは、具体的にどのような仕事をされましたか。

主に電話対応や営業をしていて、会社のサイト作りも頼まれました。私もIT関連は詳しくなかったのですが、Wordpressの設計の本を渡されたので、それを読みながらサイトを作り始めましたね。その時に、私自身にも3か月で退職して転職活動を行った実体験があるので、これを記事にしたら共感してUZUZに登録してくれる人がいるのではと思い、自分の転職活動のストーリーをブログに書き始めました。そしたら、その記事を読んで登録してくれた人が出てきて、UZUZの登録者数が増え、この時に、インターネットの世界はすごいなと実感しましたね。

レンタル移籍先で初めての管理部門を経験

―UZUZでの3か月間のアルバイトを経て、UZUZの兄弟会社で業務委託を開始されたのですね。

そうですね。UZUZからの正社員オファーも頂いておりましたが、社長含めてみんな良い人たちなのでこのまま残っていたら甘えてしまうと思い、内定をいただいていた会社の中で条件が一番厳しいところを選びました。

UZUZでサイトを立ち上げたときに自分がゼロから作ったコンテンツで人が動いたことに感動し、もっと色々なことをやってみたいと前向きに考えられるようになっていました。自分でブログを書き始めたことが大きな成功体験となったので、本当に良い経験をさせてもらって感謝しています。また、やはり営業に挑戦したいと思っていたので、UZUZにいつか戻るという条件のもと、兄弟会社へのレンタル移籍を決めました。

―このレンタル移籍期間はどのような仕事をされていましたか。

広告運用の営業や企画立案、自社のサイト運用からスタートしました。広告運用の営業を進めるにあたって、先ほどからお話ししている通り、私は営業があまり得意ではないので、副社長の案件を引き継いだ時にはクレームの嵐でした。「副社長から担当を変えるなら契約を打ち切る!」とまで言われてしまいましたね。

でも、そうやって本気で怒ってくれる会社だったので、自分の提案の何がダメなのかちゃんと教えてくれて、その人に認められるためにはどうしたらいいか試行錯誤していました。再び提案した時も提案は通らなかったのですが、「だいぶ良くなったね、これなら契約を継続してもいいかな」と言ってもらえて、仕事は相手のことを考え尽くして、試行錯誤することなのだとということを学ばせてもらいました。。

また、元々会計学を学んでいたので、管理部系の仕事もしたいですと会社に提案して、初めて管理部の業務に携わりました。

―初めて管理部の実務を経験されて、どう感じましたか。

やっぱり、数字を読み解くことは面白いなと感じました。管理部ではまず経理の仕事から始めたのですが、当時この会社はバックオフィス体制がなかったので、経理関連の業務を適当にやっている会社でした。なので、儲かっている会社だと聞いていたのに蓋を開けてみたら全然儲かってない、なんてこともありました。

会社の数字を見ていくと、請求漏れが大量にあったり、案件管理をやっていなかったので出費がどれだけあるか把握できてなかったりと、結構問題が多かったです。現場の人たちにヒアリングをしていたら、契約が適当であることが原因だと分かりました。それから、案件管理の仕組みと契約書を作り直し、バックオフィスの体制をゼロから作り始めましたね。きっかけは数字から違和感を覚えたことなので、やはり数字に向き合う仕事が自分は好きなんだなと改めて感じました。

―羽原さんは本当に数字を扱う仕事が好きなのですね。26歳でUZUZに戻り、正社員として入社されていますが、戻ってからはどのような仕事をしていましたか。

カスタマーサポートチームの立ち上げ担当と、管理部を任されました。最初はカスタマーサポートチームの立ち上げに従事していて、ここでもゼロから始めましたね。この時は、カスタマーサポートの仕事が楽しいというよりは一緒にいた人たちと働くことが楽しいと感じていたので、周りの人に恵まれていたと改めて感じます。

カスタマーサポートを立ち上げて1年半くらいで業務を引継ぎして、その後は管理部に注力しました。この時、初めての融資を経験したのですが、ここでカスタマーサポートでの経験が活きたと感じています。カスタマーサポートで対応する顧客はUZUZにおける売上の原点と言えるので、その数字を扱っていたことにより、会社の数値を隈なく理解していました。なので、融資をする時にもロジックとなる数字をすぐに自分で持ってこれるので、難航せずに融資を進めることができました。

ハードワークからリモートワークに働き方改革、自身の会社・ブランド立ち上げ

―28歳でハードワークを辞めようと決意されていますが、これにはどのような理由があったのでしょうか。

体調不良になったことも理由の一つではあるのですが、一番は結婚したことが大きいですね。妻とは学生時代に知り合い、付き合ってから東京に来てもらって仕事をしていたのですが、結婚を機に関西に戻りたいと言われました。それなら関西に戻ろうかと二人で話し合って決めたのですが、現社長が「UZUZを好きなんだからやめる必要はない」と言ってくれて、リモートワークに切り替えることができました。でも、当時のUZUZはリモートワーク体制が構築されてなくて、仕事を効率化したらできるんじゃないかと考え、リモートできる体制を2年ほどかけて作りました。

―29歳には、友人と共同で立ち上げたEight株式会社とのダブルワークを開始されたのですね。会社を立ち上げたことにはどのような理由がありましたか。

これは、経営者の立場を経験するためですね。UZUZでは経営者のサポートもしていたのですが、経営者として自分で意思決定をした経験がないのに、果たしてちゃんとサポートをできるのだろうかと考えたことがきっかけになります。また、UZUZは上場を目指していない会社ということもあって、上場を経験してみたいという思いから会社を共同で立ち上げました。

しかし、会社を立ち上げて2年ほど経った頃に、取引先に530万円を盗まれてしまいました。これには決定を焦って進めてしまった自分の意思決定が原因になります。この取引は危ないなと思いながら目先の売上に目が眩み、取引先の保証金を合わせて530万円持っていかれてしまいました。この時に、身軽でいつでも逃げることができる一人社長の会社と取引をすることのリスクを学びましたね。現在、Eight株式会社では取締役としては残っていますが、代表は辞任しています。

―同じく31歳に、ニューヨークでファッションブランド「kentina」を立ち上げられたのですね。

「kentina」はニューヨークでファッションショーをすることを目標に掲げていて、それに向けて資金調達したり、服を作ったりしています。また、ニューヨークでメイクアップアーティストとして活躍している知人にクリエイティブディレクターとして入ってもらっています。彼とは元々地元の友達で、いつか一緒にビジネスしようと話していたので、30歳くらいの頃から実現に向けて動き始めていました。

―32歳にはコロナの影響で業績悪化&業務も回らずパニック状態とありますが、どのように持ち直したのでしょうか。

私自身は業績悪化を耐えきるためのフォローをしただけで、そこから伸ばしてくれたのは現場で働いてくれている方々です。私がしたことは金銭面的なフォローで、コロナで業績が悪化した時も、金融機関から必要なお金を引っ張ってきました。金融機関と取引する上で意識していることが、こちらに悪い情報があったら隠さずに先に言うようにすることです。たとえ会社の中では成長曲線の計画であったとしても、金融機関には現実的な部分だけを伝えることで、業績が悪い時でもすぐにお金を借りることができました。現在は売上も持ち直して、以前よりも業績が良いV字回復にあります。

羽原さんが思い描く今後のビジョン

―現在、羽原さんはUZUZで経営企画室の室長というポジションを勤められていますが、実際にはどのような仕事をされていますか。

現在は経営企画の仕事というよりは、バックオフィスの仕事がメインとなっています。コロナの影響で管理部からコアメンバーが抜けてしまったこともあり、今は崩れた体制を立て直している最中ですね。

例えば、管理部でリモートワークをみんなでやっていこうとなった時に、どのように電子データを管理するか基礎から体制を作り直しました。管理部は元々電子データ化していなかったので、データ管理を紙からクラウドに変えるとなった時に、電子化するとデータが重複してしまって管理が大変になってしまったことがあります。管理部の体制を整えて、仕組みを作り直していることが現在の私の仕事です。

―羽原さんはUZUZの管理部門について、どのように思われていますか。

UZUZの管理部には、柔軟にやることが根本にあると考えています。ただ、今はこのコロナの状況下もあって柔軟にやりすぎている部分があるので、イレギュラーを多く作っている状況にあります。そうすると、分業化された管理部内で他のメンバーにイレギュラー対応が伝わらず、ミスが起きているの状態にあるので、システム自体を臨機応変に変えていかないといけないと考えています。

業務フローやイレギュラー対応を踏まえたうえで体制を構築していくこの業務は面白いと感じています。管理部は柔軟に業務を構成していける環境であるので、その代わりにストレスが溜まりやすく辞めていく人がいるのも現状です。しかし、現在の管理部チームはバランスが良く、定着しそうだなと思っています。

―最後に、羽原さんご自身の今後のビジョンについて教えてください。

今後は自分の原点に戻って、数字を追い求め、数値の監理・分析をしていきたい思いが強いです。2022年末までには管理部の仕事を全部引き継いで、経営企画の業務に集中していきたいと考えています。

計数管理の面白さは、数値の意味を解き明かしていくことにあると思っています。会社の予算の根拠など、数字は裏にあるものを読み解かなければならない。結果だけしか見えていない数字に対して、分析を通して意味を理解することで改善していく。そういったちょっとした努力が会社全体に影響を大きく及ぼすことになるので、それが楽しいです。なので、今後も数字を追い求める業務に携わりたいと考えています。

―本日はお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

今回お話を伺った羽原氏が経営企画としてご活躍されている、株式会社UZUZのホームページはこちら

この記事を書いたライター

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