1991年 | マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン 入社 |
1996年 | 経済協力開発機構(O.E.C.D) |
2000年 | (株)イーピクチャーズ(現アールビバン(株))設立 代表取締役 |
2006年 | (株)IMJモバイル(現アクセンチュア)取締役 |
2008年 | (株)サイバードホールディングス(現(株)サイバード)取締役 |
2017年 | (株)イオレ 取締役 |
2020年 | (株)ユナイテッドアローズ 取締役 |
2021年 | (株) やる気スイッチグループホールディングス 取締役 (株) やる気スイッチグループ 取締役 |
【キャリアグラフ】
-キャリアのスタートとして、マッキンゼーに入社されていますがきっかけはありましたか?
ここなら「何者にでもなれる」と感じたことが大きかったです。
就職活動中は、「〇〇さんは10年後、どのように働いていたいですか?」と必ず面接官へ逆質問するようにしていました。働く人が入社後何を考えて働いているか?が理解できると、入社後の自分をイメージする上で助けになると考えたためです。
その中で1番興味を惹かれたのがマッキンゼーでした。誰に聞いても、10年後描く姿がそれぞれで異なり、同じ組織でも描けるキャリアの可能性が広いのでは?とわくわくし、入社を決めました。
-実際に入社されていかがでしたか?
今振り返っても最初は苦労が多かったです。特に言語の壁は大きく、海外経験もなく、英語が得意ではない中で、上司はデンマーク人やアメリカ人。英語で指示をいただくのですが、何を言われているのかも理解できない状況でした。(笑)
コンサルティング業務についても、フレームワークを活かした仕事のコツがなかなか掴むことができず、さらには中途採用の優秀な方々に囲まれ、自分との実力差を目の当たりにし、焦りを感じることも多かったです。
-苦しい経験をされたのですね。
そうですね。そんな悩みを抱えながらも、2つのターニングポイントをきっかけに徐々に成長をしていくことができました。1つ目はお客様との出会いです。それまでは「(教える、育てる、というより)個々人の能力を最大限発揮する」という外資系スタイルで仕事をしていたのですが、国内大手通信会社との仕事で、お客様が親身になって私に仕事を教えてくれました。具体的にはチームで課題を共有する、いろいろな部署の方から聞かれれば知恵やアイディアも出してくれるといった働き方です。分からないことや迷ったらとにかく聞きまくる、といったことを含めて仕事のコツも徐々に掴めるようになってきました。
2つ目はマッキンゼー社で実施していたコミュニケーショントレーニングなどを通じて交渉力を磨けたことです。コンサルティングにおいて、お客様と話す時や、チームをまとめる時など、コミュニケーションの方法で悩むことが多々ありました。そのような中、同社で実施していたコミュニケーショントレーニングは、ケーススタディを通じて相手の状況を考え、交渉のプランを立てるネゴシエーションを身に付けていく内容で、話し合いながら確実に目的に近づく進め方を学んだように思います。
これら2つの経験は自分にとっての社会人の基礎を築けた経験であり、今でも大切にしていることです。結果も付随して出るようになりました。
-休職されて経済開発協力機構(以下、OECD)でお仕事をされていますね。経緯について詳しくお聞かせください。
20代後半の頃、新たなチャレンジをしてみたいと海外へ行く方法を考えました。当時のマッキンゼーに社内留学の制度はなく、方法を模索しました。そんな中マッキンゼーを退職された先輩がOECDで働いていて、ちょうどポジションが空いているとお仕事のお誘いをいただきフランスのパリへ行くことになりました。
-OECDではどんなお仕事をされていたのですか?
OECDでの仕事は、インターネット関連の各国の状況や課題、技術について調べ、レポートにまとめることでした。また、事務局として国際会議の準備、運営をすることもありました。
当時IT業界では、アメリカがイニシアティブをとっていました。情報スーパーハイウェイという大きな目標を掲げ、突き進んでいく勢いを間近で見ていて、日本との差に感服したのを覚えています。まさに、世界を目の当たりにした瞬間でした。
-素晴らしいご経験ですね。更にフランスで結婚、出産もなさったのですね。
フランスで出産や子育てをしたことは、貴重な良い経験になりました。
子どもは可愛く、当時のフランスでの生活は楽しい思い出がたくさんあります。
ライフイベントが重なり忙しい中でも、仕事は継続していたので人生において充実感があった時期でした。
-日本に帰国して仕事に復帰。フランスに行かれる前と何か変化はありましたか?
私の中で働き方が大きく変化しました。「子どもとの時間を確保しなければ」その思いから、昔は残業して終わらせていた仕事も、緻密に段取りを組んで効率的に終わらせることができ時間の創出に繋がりました。
-お子様の存在が仕事にも良い影響をもたらしたのですね。
優先順位付けや取捨選択ができるようになったのは、子どもの存在が大きかったように感じます。メリハリをつけながら一生懸命仕事をして、最短でゴールを目指そうとすることで、成果も出るし、お客様も満足して次の仕事に繋がるという、良い循環を作り出すことができました。
-起業もされていますね!経緯を聞かせて頂けますか?
ちょうどドットコムブームと呼ばれる、周囲もどんどん起業していく時期でした。私も長年インターネット関連の仕事に携わってきて、コンサルティングではなく、自分で事業を作ってみたいと考えるようになりました。
仕事でシリコンバレーに行った時に、誰もが気軽に起業しているのを見て、「わくわくする!私もやってみたい!」と半ば勢いでイーピクチャーズ(現 アールビバン)を起業しました。
-経営者として働いてみていかがでしたか?
社長として働く中で、自分のアイディアを実現できる喜びと同時に、利益が出なかったらどうしようという不安を常に抱えることになりました。この時は自分のキャリアよりも、どのように会社を発展させていくかを常に考えていました。大変ではありましたが、刺激的で毎日が楽しく充実していました。
-どのような会社だったのですか?
BtoC形式で携帯コンテンツを作っていました。
音楽や漫画といったクリエイティブなものと消費者を繋げるサービスを思い描いており、それがITに結びついて形になった時は本当に嬉しかったですね。
また「BtoCには『Moments of Truth(真実の瞬間)』がある。」昔の同僚がそのように言っていたのですが、私自身もそれを感じる瞬間が多々ありました。自社のサービスを利用しているユーザーを見かけた時、「使ってくれている!」と感動したのを今も覚えています。
-しかし、その後会社は売却されていますね。どのような経緯があったのでしょうか?
事業自体は順調だったのですが、資本政策に失敗してしまい、ある会社の子会社となりました。親会社の論理との相違もあり、雇われ社長としてこのまま働くのも自分の思い描く理想とは違うと考え、会社を売却して半年間程は仕事・キャリアから離れる時間がありました。
-会社売却時にはどんなお気持ちでしたか?
正直悔しいとか、恨みがあるとかそういう感情はなく、最適解であったと思います。粘って続けることもできたかもしれませんが、私としては事業や働く従業員の今後を論理的に考えて冷静に判断した結果でした。後悔もありません。
仕事・キャリアとしては振出しに戻った時代ではありますが、自分にとってのチェンジマネジメント(経営や組織の変革)でした。新しい仲間や舞台に出会えたわけですから。
-IMJモバイルにはどのような経緯で入社されたのですか?
この時は、本当に偶然というかご縁という感じでした。IMJモバイルはイーピクチャーズのマイナー株主でしたので、折々に説明に行っていたのですが、その時に「社長を辞めるのであれば、うちに取締役として来ない?」と誘われました。
最初は断るつもりだったのですが、当時のIMJモバイルの社長が「大変な1年だったけど、うちに来たら来年は良い年になるよ」と言ってくれたのを今でも覚えています。不思議とそうなるかもしれないと思って、誘いを受けました。
-IMJモバイルでは取締役として「仲間」をテーマに働かれたと具体的にどういうことでしょうか?
IMJモバイルはソリューションの会社だったので、エンジニアやデザイナーなど、違う職種の人達が多数在籍していました。それぞれ違う仕事をする中で、一つの目標に向かい成果を上げる必要があります。学んだコミュニケーション能力を活かしながら、彼等を活かしていくためどうするか?を考えながら働いていました。
短い期間ではありましたが、絆は深く、今でも仲良くさせていただいています。本当に素敵な職場でした。
-(株)サイバードへ転職し、ここでCFOとしてのキャリアをスタートしていますね。
ここから、CFOとして企業経営に専念するキャリアが始まったと思っています。
この時は、携帯電話からスマートフォンに急速にシフトした変換期でした。IT業界でもそれに対応すべく、人の入れ替えや事業の変革を迫られました。激動の中でM&Aなどを経験し、CFOとして鍛えられました。とにかく職種を超えてチェンジマネジメントしなければという思いで突き進みました。
-「投資家」に向き合うという新たなテーマを発見されたということですが。
今考えると、自分が起業した時は余裕がなく、投資家の人のことを真摯に考えられていなかったように思えます。しかしサイバードでCFOになり、投資家と向き合うことが会社経営において大変重要だと気づき、私の働くテーマとして取り組みました。
-更にITベンチャーへの転職をされてIPOを達成されたそうですね。
昔からご縁があった会社で、IPOを絶対に成功させようという思いで入社しました。IPOは初めての経験で、準備含めて短期間で達成することはできましたが、IPO後の方が個人的には重要であると感じています。資本市場との向き合い方をこの時の働くテーマとしていました。
-「資本市場」との向き合い方について詳しく教えてください。
まず株式会社とは、投資家が集まって担ぐ、お神輿のようなものだと考えています。担ぎ手がいなければお神輿は動きません。お神輿=株が魅力的になれば、価値が上がって担ぎ手が増え、資本が大きくなっていきます。逆に魅力が下がり、担ぎ手が「もうやめた」と言った瞬間に、その会社のお神輿(株)は価値が下がり、多くの投資家が損をしてしまいます。
そのため担ぎ手へのお神輿である株の価値を上げるためにも、企業価値の向上に責任を持ち、資本市場の反応を常に意識をしていました。CFOとしてまた一段成長した経験であったと思います。
-リテール業界でも活躍されていますが、ITはまた違った分野でチャレンジされたご理由はなんですか?
「衣食住に関わるサービスにはまだまだ可能性がある」という言葉をイーピクチャーズの副社長が言っていたのを思い出し、いつか衣食住の業界にチャレンジしてみたいと考えていました。そして縁あってユナイテッドアローズへ転職することになりました。
-実際働かれてみて、いかがでしたか?
「人間のできることは多く、ITとの折衷の妙が必要だ」と感じました。デジタルトランスフォーメーション(DX)が私のミッションのひとつでしたが、もちろんAIは近年凄まじい進化を遂げています。しかし、具体的なシチュエーションを考えると「それって本当に機能として作るべきか?」という課題に直面してしまうようなこともたくさんあります。
例えば、ある店にお客様が、服を注文し、細かなご注文をされて、明後日取りに来るとお約束されたとします。これを生身の人間が対応するとしたら、メモを次の人に渡すだけで終わります。しかし、システム化しようとすると、何万回に一回起こるかどうかという事象の仕様決めから始まり、あまり合理的には感じません。作業全てをITに変換するというより、ITと人間のできることとを折衷して新しいサービスを構築していくことが大事だと感じました。
-そして、2021年7月1日にやる気スイッチグループに入社。現在に至るわけですね。
マッキンゼーの元同僚で、現在はヘッドハンターをしている方から、「あなたのキャリアプランを聞かせてくれませんか?」という連絡が来ました。実際にお会いするまでは、こちらが良い人材を紹介してもらおうと思っていたのですが、いつの間にか私がヘッドハンティングされていました。(笑)
私がIT業界に足を踏み入れたのは、新しい世界や未来を見たい、作りたいという思いを常に持っていたからです。やる気スイッチグループの話を聞いた時に、それを思い出しました。次世代を作る教育という業界でなら、もっと先まで続く新しい世界を実現できると思ったからです。
-入社されて間もないとは思いますが、具体的にどういった業務をされていますか?
資本政策を考えつつ、協力しながらコーポレートデザインをしているところです。成長フェーズにある会社だからこそ、これから会社をどうするか、どういうガバナンスが求められているのか、そしてなぜ必要なのかを考えてアドバイスするのが私の経験から行えることであり、貢献できることだと思います。そして今はまさに会社の将来を協力しながら設計しています。
-やる気スイッチグループで働く魅力はなんですか?
非常にオープンなカルチャーで、活気があり風通しが良いと感じます。規模も大きすぎれば、一人が持つことのできる裁量は小さくなってしまいますが、当社は成長フェーズであるからこそ、一人がもつ裁量も大きく、これからどんどん伸びていけるポテンシャルがあります。働いていてある程度の自由を感じるのも働く上で、魅力だと感じます。
-キャリアを振り返ってみて感じることはありますか?
自分のキャリアを振り返って改めて感じるのは、周りの人や環境に恵まれていたということです。お客様やお取引先、職場の仲間、投資家の方々に育てていただき、価値観や視野が広がり、次のステージに進むことができました。きっかけをくれた方々や、出来事全てに感謝しています。
-それでは、今後のビジョンについてお話を聞かせて頂けますか?
自分より若い次世代の経営者たり得るリーダーを作り出すことが将来の目標です。自分の知見や経験から、若手に還元できることはどんどん開示して、変化して伸びていく組織を作っていきたいと考えています。言葉にすると綺麗ですが、実現にはしがらみや、色んな人に「いままでの自分」への執着を捨ててくれと頼んでいくこともあると思います。泥臭い部分もあるとは思いますが、この先の未来で実現していきたいです。
-最後にHUPRO MAGAZINEの読者へメッセージをお願いします。
私はこれまで、自分の「好き」や「わくわくする」という気持ちを信じてここまで歩んできました。やっぱり、それがないと継続は難しいと感じます。想定していないことが起きたとしても、自分の気持ちを優先して軌道修正できれば、人生が充実するのではないでしょうか。
そして見栄を取り払い、駄目な部分ともととことん向き合って、現状を変えたいと発信し続けることはとても重要です。私の経験上で出会いや助けは、常に周りに存在しています。しかし自分で積極的に求め、発信をしなければ逃してしまいます。
自分の気持ちや考えを大事に、そして素直に発信を続ければ必ず道は開けます。
これから頑張ってください!
-本日はお話を聞かせて頂き誠にありがとうございました。
今回お話を伺った中井氏が取締役を務める
(株)やる気スイッチグループのHPはこちら!