株式会社TENTIALのCFOの酒井亮輔氏は、新卒で株式会社経営共創基盤に入社。その後、株式会社マネーフォワードに転職し、分析推進室長、マーケティング部長を務め、現在の株式会社TENTIALの取締役CFOに就任。同社に入社されるまでのキャリアパスや入社の背景、同社での経験、今後の展望などをHUPRO編集部がお話を伺いました。
2011年 | 慶應義塾大学入学 プログラミング、統計、野球の統計の研究 |
2015年3月 | 卒業 |
2015年4月 | 経営共創基盤 入社 戦略コンサルタント ハードなスキルとマインド獲得 |
2016年12月 | マネーフォワード入社 アプリマーケター |
2018年1月 | 経営企画に異動 経営実務やM&A PMIを学ぶ |
2019年11月 | 分析推進室の立ち上げ室長、全社分析基盤を作り、組織を8名まで |
2020年4月 | 合わせてSMB 向けマーケティング部室長に就任。経営視点からの分析マネジメントを通して、メンバーマネジメントに活かす。一気通貫したデータ経営を実行 |
2021年2月 | TENTIAL CFO就任ファイナンスコーポレートを専門にしつつ、経営全般に責任を持つ |
【キャリアグラフ】
ーどんな学生時代を過ごしていましたか?
慶應大学のSFCに通っていたのですが、2つ思い出深いことがあります。1つ目は学園祭の実行委員長を務めたことです。組織の中で仲間と働くことができたのはとても良い経験だったと思っています。2つ目は、プログラミングを学べたことです。学部自体がプログラミングをすることが当たり前だったので、環境に刺激されてスキルがつきましたし、今の強みがそこで生まれていると感じます。
プログラミングでは統計解析、機械学習といった分野を学びました。卒論のテーマは野球の統計解析。というのも、私は中高生の頃パワプロという野球ゲームが好きだったんですが、デフォルトで入っている選手の能力値が気に入らず、ひたすら実在選手を作っては、実際に期待通りの成績になるか、パワプロ内でシミュレーションしていました笑。大学でプログラミングを覚えたことで、より柔軟に好きなシミュレーションを組むことができるようになり、大変楽しかった記憶があります。
ー実行委員長の経験があるようですが、人をまとめるのはもともと得意でしたか?
当時どこまで上手くできていたか分かりませんが、得意な部分はあったと思います。もちろん失敗もあって、その経験が今のマネジメントスタイルに活きているところもあります。例えば、仕事を全て自分で抱えてしまって、その結果パンクしてしまうというような。もっと周りの人に仕事を与えた方が、相手のやりがいにもつながったと反省しています。ただ、その経験もあり、社会人になってからは自分一人でボールを持つことはなくなりましたね。
ー社会人以降、マーケティングや経営企画など様々な分野に挑戦されていますが、昔から好奇心旺盛でしたか?
そうですね、悪く言えば飽き性とも捉えられますが・・・。ファーストキャリアがコンサルだったため3ヶ月、もしくは半年スパンで新しいキャリアに挑戦することが、自分の働き方のデフォルトになっているところはあります。
ー経営共創基盤(IGPI)に入社した理由はありますか?
当時はインターネット関連の企業で探していました。ただ、特別行きたい会社もありませんでしたし、職種についても曖昧でした。そんな時に、統計分析の技術を使って作成したのが自分なりの就活データベース。企業の情報を100件ほどサンプリングして自分用の簡単なレコメンドエンジンを作り、その上位にあった企業の一つがが経営共創基盤だった、というのが出会いでした。そのうえで経営共創基盤にした理由は、経営に携わりたいという思いがあったからです。様々な業種・職種の人に関わりながら、大きな仕事ができるのがコンサルティングファームだと考えて入社しました。
ー制作されたレコメンドエンジンではどういった企業が上位に来ていたのですか?
コンサルティングファームは上位に来ていましたね。働きやすさというよりかは、社会にインパクトを与えられるような企業が並んでいたと思います。あとは給料面も見ていましたけど・・・。ハードな仕事内容はそこまで気にならなくて、働くからには楽しく働きたいと思っていましたね。人生の3分の1働くわけですから、楽だけどやりたくない仕事をやるよりは、好きな仕事にコミットしたほうが楽しいと思います。
ー経営共創基盤入社後のキャリアグラフを見ると、かなり落ち込んだ時代だったようですね。
大変楽しかった日々ではあるんです。ただ、できないことをたくさん突きつけられたという点で落ち込みました。学生時代は仕事ができる側だと思っていましたが、会社にはもっと仕事ができる先輩がいて、その先輩方に色々と指摘されることもあり「もっとできるようにならなくては」といつも考えていてました。自己肯定感は得にくい2年間だったと思います。その代わりに、スキルやマインドセットが身に付いた、大事な時間でした。
ーまさに「下積み」とも言える時代だったと思いますが、得られたものは何ですか?
ハードスキルでいうと、構造化したテキストコミュニケーションは今でも活きていますね。例えば、クライアント向けの議事録を作る時は、文章を構造化してメモを取ります。もちろん一言一句漏らさないように。これは誰かにものを伝える時の普遍的な能力になっていると感じます。そこから派生して、財務モデリングや提案資料のパワポ作成など、世の中のホワイトカラーに求められるハードスキルは2年間で身に付けられたと思いますね。
そのうえで、ハードスキルよりもマインドセットで得られた能力のほうが大きく、自分自身がプロフェッショナルであるかということを問い続けました。これについては新卒の研修時から言われ続け、今も常に意識しています。例えば、表面上発注者が喜ぶような資料を出すよりも、喜ばれないけれど本当にためになる提案をするとか。ここで難しいのが、単に耳の痛い言葉を言うのではなくて、人間関係を構築しながら価値のある提案をして、実行までしてもらうということです。しかし、これは諸刃の剣だとも思っていて、クライアントのことを考えすぎると働く時間も延びてしまう。自分がダウンしてしまうのではと言う懸念もありました。クライアントのためにもきちんと休んだ方が良かったとか、そういうところも見えてきましたね。
ー酒井さんの経歴からメンタルがとても強い印象を受けました。
ストレス耐性はついていると思います。ファーストキャリアで経験しておくと楽ですよ。ただ、推奨するものではないと思っていて・・・。この働き方が身体に合わず潰れてしまう方もいるので、無理はしてほしくないなと思います。
辛い時代を乗り越えられた理由としては、ハードスキルに自信があったからだと思います。これなら価値を出せるというものを自分の中で見い出せていたのかもしれません。例えば、エクセルのモデリングはプログラミング的な思考が活きるので、もともとのアドバンテージもありつつ価値を出しやすかったのだと思います。
ー転職を考えたきっかけはなんですか?
コンサルとしての次の世界を見るとなると、マネージャーやディレクターになります。ただ、色々と逆算するとその景色が見えるのは30才手前でした。
以前からインターネット事業会社に行きたいと思っていたこともあり、転職を考え始めました。コンサル2年を経て新卒の頃はハードルが高くて目指せなかった「経営×IT」にたどり着いたという感じです。ハードスキルやマインドが身に付いたこのタイミングで「腕試しをしたい」とも思っていましたね。
ーマネーフォワードへ就職したのはなぜですか?
転職活動では自分のスマホの一画面目にあるアプリの会社を何社か受けました。理由は、コンサルと違って自分の好きな商品を売る仕事なので、自分自身が価値を感じているサービスがいいと思っていたからです。そしてその中の一つがマネーフォワードでしたね。マネーフォワード以外の会社からも誘いを受けていましたが、事業内容がコンサル寄りでした。コンサルに固執せず、様々なバックグラウンドを持った人たちと働いてみたいという思いがあったのも決め手の一つです。
ーコンサルから事業会社へのギャップはありましたか?
コンサルは基本的にクライアントワークなので、データ分析ひとつにしてもやりとりに何日もかかりますし、仕事は100点であることが重要でした。しかし、事業会社、それもスタートアップなら尚更、限られた時間内で70点のものを3つ作ることが求められます。事業会社はまさにDone is better than perfect. perfect よりも Doneのものをたくさん作る、こういったところで良いギャップを感じていましたね。自分の性格にも合っていたと思います。
ーキャリアグラフが安定し始めた時期のきっかけは何ですか?
まず、私は「新しいことへの挑戦=落ちているボール」という見方をしています。誰も担当していない部署と部署の間に落ちているような仕事を拾うのが得意で、価値も出しやすい。
キャリアグラフが安定し始めた時期は、データ分析の面でボールが落ちていました。具体的には、社内に事業収益性を分析するバックデータがあまり良いものがありませんでした。一応、自分が業務として行っていましたが、単純作業で面白くないし、属人化しているから私に何かあったら仕事が回らなくなります。これを解決するにはデータを1カ所に集積させるようなデータウェアハウスが必要でしたが、作れる人もいなければ部署もありませんでした。そこで長期休暇を使ってデータウェアハウスのベータ版を作り、それが後の分析推進室の先駆けになっています。
ー課題を見つけるために意識していることはなんですか?
怠惰や怒りの感情が根本にありますね。例えば、同じことを何度も繰り返す仕事には「システムで解決すればいいのにな・・・」と疑問を持つことも。あとは、学生時代から問題発見、問題解決を常に意識していたので、日常的な考え方として身に付いているのかもしれません。
でも、気が付いて指摘しているだけだとクレーマーになってしまうので、スキルがあってよかったと思います。データ分析を中心としたスキルが自分の軸になっていますし、キャリアにもつながっていますよ。
ーマーケティング部長になったきっかけはありますか?
声をかけてもらったことがきっかけですが、それより前からマーケティング部のKPIマネジメントはもっとうまくいくという確信がありました。報告会などで全社の状況は確認していましたし、そこで予実差異がうまく見いだせていないことなど見ていましたから。実際、声がかかる前から少しずつボールを拾っていて、当時、事業部のKPIマネジメントによる引き上げの着地読みと実際の着地読みの乖離をデータ分析の力で解消するような仕事をしていたのもあって、声をかけやすかったのかもしれませんね。
ーマネーフォワード時代はどういったことに壁を感じていましたか?
組織や従業員満足度の課題は私が取り組んでいた裏テーマでしたが、悩み続けていましたね。担当している業務によっては、上手くいく時は自分がやらなくても上手くいくし、ダメな時は何をやってもダメみたいな方もいるんですがとはいえ他の方同様の評価されがちです。そういう場合でもどうしたら従業員に楽しくやりがいを持って働いてもらえるのか考えていましたね。私のできる解決策としては、KPIを精緻に追えたり、財務会計とつなげたりすることが従業員満足度につながると思いました。ただ、今日からやろうと言ってできるものではないので、ソフトとハード2つの整備が必要ですが。定量データ大好きと思われがちなのですが、こういった考えがあったので、マネージャー時代は数字に偏って評価しないようにしていました。
あとは、サービス名を変えるプロジェクトにも苦悩しました。事業部からすると思い入れのある名前だったり、既にあるドメインパワーが強くなっている中で、新しいものを育てなければならなかったりするので、丁寧な説明を欠いて反発されることもありました。その中でトップと現場の意思疎通をどう仲介するか、苦しんだ時期があります。
ー TENTIALに入社した経緯は何ですか?
最初は副業で入っていました。副業の内容は、データ整備やモデリングです。
当時、私の部は、私がいなくても仕組みで回る状況になっていました。また、私自身としても後続が育ってほしいと思っていた時期でもありました。想いだけ残してしまったものもあるのですが、同僚がしっかり実現してくれており、心強い限りです。
ーCFOの魅力はなんでしょうか?
自分がやりたいと思ったことをできる権限があることでしょうね。例えば分析推進室の部長だったとしても、大きなお金を用意することはできない。CFOは、いわゆるヒト・モノ・カネの部分を自分自身の意思でコントロールができ、全てにおいて責任が持てるという点が魅力ですよ。
ーこれからのキャリアはどう考えていますか?
あまり考えていないですけれど、TENTIALで経営者として取り組み続けたいと思っています。 TENTIAL を大きくしたい理由は、嘘のないプロダクトを作っているところや人の良さだったりしますね。代表を始めとして、みんながビジョン達成に向けて全力で走っている。それを当事者として支えたいいという気持ちになります。あとは、事業フェーズの魅力。これからもいろいろなフェーズを楽しめる確信がありますね。
ーヒュープロマガジンの読者へメッセージをお願いします。
CFOという役割は、CFOになってやりたいことがあるなら、目指して欲しいキャリアだと思います。やりたいことがあればなんでもできる立ち位置です。私の場合は資金調達やバックオフィスを通じて事業を成長させたかったのですが、実際それが実現できています。逆にやりたいことが無かったら大変なだけで面白くないかもしれません。また、CEOと議論してぶつかる権利もありますし、ぶつかるべきポジションでもあります。これができるかは、参画する会社を見極めるにあたって大変重要なので、気にすることをおすすめします。
―本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。
本日お話を聞かせていただいた酒井氏がCFOを務める株式会社TENTIALのHPはこちら