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多種多様なバックグラウンドをもつ人々が尊厳を持って働き、暮らすことができる環境づくりに貢献したい。 メディフォン株式会社 執行役員 CFO 坂本 隆宣 氏のキャリアとビジョン

HUPRO 編集部
多種多様なバックグラウンドをもつ人々が尊厳を持って働き、暮らすことができる環境づくりに貢献したい。 メディフォン株式会社 執行役員 CFO 坂本 隆宣 氏のキャリアとビジョン

学生時代の留学で経験した異文化融合の魅力を原体験にM&Aアドザイザリー業務やコーポレート部門立ち上げに従事し、現在はメディフォン株式会社 執行役員 CFOとして活躍する坂本隆宣氏。今回は坂本氏が仕事でエキサイトメントを感じる瞬間や、今後のビジョンなどについてHUPRO編集部が詳しくお話を伺いました。

【略歴】

2005年 ◆大和証券エスエムビーシー
 主にクロスボーダーM&Aアドバイザリー業務に従事
2008年 ◆ドイツ証券
 主にプライベートエクイティ向けM&Aアドバイザリー業務に従事
2009年 ◆グリーンヒル・ジャパン
 東京法人の立ち上げ、並びにM&Aアドバイザリー業務に従事
2013年 ◆実家に戻り家業(農業)
2013年 ◆三菱UFJリサーチ&コンサルティング
 資本政策アドバイザリーチーム立ち上げ
2017年 ◆クラウドクレジットへ参画
 CFOとして財務部・経営企画部含むコーポレート部門を立ち上げ、管掌
2021年 ◆メディフォンへ参画
 CFOとしてコーポレート部門を立ち上げ

【キャリアグラフ】

キャリアを形成する「軸」の原石を見つけたアメリカ留学時代

―金融畑を軸にキャリアを歩まれていますが、昔から興味があったのですか?

実は、大学3年生までは金融業界に興味はなく、マスコミの仕事に興味がありました。
マスコミ業界に入りたくて、早稲田大学在学中に所属していたサークルの活動でテレビやラジオにも出演したりしていました。

しかしマスコミの世界を現場で見ていく中で「これって、自分がやりたい事とは違う」と感じてしまったのです。テレビで流れている世界は確かにエンターテイメントとしては面白いのかもしれませんが、想像していたよりも多くの部分が台本のある“作られた世界”であることに気づきました。

マスコミ業界を目指して大学に進学し、その目標がなくなって、じゃあどの業界に行こうかと考えたときに悩んでしまい…じゃあ、心機一転、留学してみようかと考えて、大学3年生の時に民間企業から奨学金を頂いてアメリカのシアトルに留学をしました。

―その留学を通じて、金融業界に興味を持ったのですか?

そうですね。留学時の2つの経験が私のキャリアの軸を作ったと感じています。

1つ目はサークル活動です。
現地で日本人が集まるサークルを作って活動をしていたのですが、海外にいるなら他の国籍の方ともっと関わりたいと考えるようになりました。ただ、日本人だけで活動していても勿体ないと感じ、非日本人のサークル交流をしていくうちに、それらのサークルを統合していきました。規模が大きくなりできることも増え、結果として異なる国籍や文化を持った人間が混ざり合って活動することの楽しさも体験しました。

2つ目は、アメリカ留学中に、現地の金融機関でインターンをしたことです。
金融のインターンでM&Aという仕事があるということ知りました。

2つの経験を通じて、組織の融合という観点で、サークルの統合がM&Aと似ていることに気づき、実際に働く中でもM&Aに関わりたいと考えて、金融業界への進路選択を決めました。

― 留学から帰国後、証券会社への入社をされたのですね。

留学から帰ってきたら3月で就職活動を開始するのは遅かったので、外資系証券会社の採用は終わっていました(笑)。短期決戦で日経証券会社に内定をいただきキャリアをスタートさせました。

― 知識もスキルも無い中で、最初の方は苦労されましたか?

そうですね。前提の金融知識が同期と比べても全くないものですから、内定後から最初の一年間はかなり勉強をしていた記憶があります。関連書籍を読んだり、簿記の資格勉強をしたり、インプットに徹していました。

入社時はM&Aの中でも、海外と日本の企業のクロスボーダーの案件を扱う部署に配属され、自分の意向にも合致するフィールドで働くことができました。

しかし、実際に働いてみるとやはりイメージとは違うことも多かったです。
学生時代のサークル統合の時とは違い、企業間のM&Aは多くの時間を費やしますし、作業量も多い大変な仕事です。学生時代の原体験で得た情熱は消えていませんでしたが、実務の過酷さを思い知ることになりました。好きなことを仕事にするのは容易では無いと痛感しました。

ゼロから立ち上げる面白さを実感した外資系投資銀行での仕事

― その後、外資系の証券会社に最初の転職をされますが、どういった経緯だったのでしょうか?

当時はリーマンショック前の兆候が出始めており、会社でもその煽りを受けて、バリバリ働いていた状況から、急に「定時に帰れ」という空気になりました。若いうちに多くの経験を積みたいと考える自分の志向とのギャップがあり、転職を考え始めました。

転職先は、外資系証券会社でしたが、リーマンショック直後で金融市場には嵐が来ていた時期でしたし、私自身も実力不足のまま転職したこともあって思い描いたようには行かない時期でしたね。

― その後さらに転職をされていますね。

「このままじゃだめだ」と考えて悩んでいる最中に、たまたまアメリカの投資銀行で、日本支店の立ち上げメンバーへの誘いが舞い込んできました。ここならまたゼロからチャレンジできると思い、再転職しました。

―こちらでの経験がその後のキャリアに大きな影響を与えたみたいですね。

プロフェッショナルとしての姿勢を身に着け、0から物事を作り上げていく楽しさを気づかせてくれたのがこちらでの経験でした。

通常のM&Aアドバイザリー業務に加えて、組織の立ち上げ作業にも追われました。私とシニアバンカー2名合わせた、3名しかおらず、マンパワーも足りない上に、アメリカでは知名度があっても日本国内ではまだ無名だったので、会社の名前に頼らず自分で仕事を取ってこい!という環境だったのです。

ただ、それが自分にはマッチしていました。案件をこなしながら、フォーマットを整えて次の案件に備えつつ、シニアバンカーの力も借りて営業活動を行う…という日々で、会社に泊まり込む日も多く、無我夢中で働きました。尋常じゃない忙しさでしたが、仕事は面白く、やればやるほど業績も上がり、自分のレベルも上がるという状況で充実していた日々でした。

―当時はどういった所に仕事の充実を感じていましたか?

「提案のキレで勝負」という仕事の仕方が私自身の性に合っていて、充実していたのだと思います。ブランド力のある会社であれば、会社のブランド力で仕事が獲得できることが多いかと思います。

しかし全くブランド力が無い中で、仕事を獲得してビジネス展開をするには、考え抜き、「相手に魅力を伝えるにはどうすれば良いか?」を徹底して追求する必要がありました。

そうした仕事の仕方を教えてくれる上司にも恵まれ、自分の力が伸びていることも実感できました。そして、自分の成長と組織の成長がリンクしているのが実感できたのは充実感に繋がっていたと思います。

東京でバリバリ働く金融マン、実家に戻って農業…!?

―投資銀行で勤務された後、ご実家で農業に従事されますが…?

自分のタイトルも上がって、チームも拡大して…という時に、実家で農業を営んでいた父の体調が悪化しました。これまでは自分の成長と充実のためにがむしゃらに仕事をしてきたこともあり、実家の家業である農業に関しては親に任せきりでした。

しっかり一度親孝行をしておきたいと考えて、仕事をやめて実家に戻って農業を手伝う選択をしました。

土地を整理したり、作付けする農作物を育てやすいものに代えたり…夏の間はとにかく父が植えていた300本のナスの収穫に追われていました。朝と夕に収穫しないと追いつけないほど、夏のナスは成長が早いのです!(笑)

その後、父は癌で他界しましたが、一緒に過ごせて良かったと思います。

その後半年ほどで実家のお手伝いを終えて、東京に戻りました。
元の職場に戻るという選択肢もあったのですが、また違うフィールドで挑戦をしてみたいと考えて、フィナンシャルアドバイザリー組織の立ち上げという私のコアスキル、コアバリューを活かせる場所を探すことにしました。

偶然にも大手銀行系のコンサルティングファームでフィナンシャルアドバイザリー部門を立ち上げるポジションがあるということで、そちらに入社しました。

資本政策アドバイザーからスタートアップCFOへの転身

―半年のブランクを経ての復帰はいかがでしたか?

農業をしていたおかげでやたらと日焼けをしていて、変な目で見られたということ以外は(笑)ブランクがあることでの苦労はなかったです。

組織の立ち上げという観点では前職と同じでしたが、今回は使えるアセットが違いました。前職では、お客様は存在せずともニューヨーク本社で使っているノウハウやツールを使うことができました。

今回はその逆で、顧客基盤はあっても、使えるノウハウやツールは確立されていない状況でした。そのため「これがないと業務ができない」というのを整理したり、内製化するまではグループ会社のM&A部署から拝借したりと、創意工夫をこらしました。

こちらのコンサルティングファームはグループの中でも割と柔軟で自由な社風だったので働きやすい環境でした。しかし、チームも成果が現れるにつれて「部署への格上げ」という話になり、親会社の固い雰囲気や慣習との調整が必要になり、自分のやりたいこととは違うなと感じるようになってきました。

―やりたいこととは違うなと感じたのですね。具体的にお聞かせください。

お客様に対してバリューを発揮するだけでなく、組織が大きくなると社内に対しても目を向けなくてはいけなくなります。前者に時間を使いたいという思いがあり、私はそこから徐々に遠ざかっている感覚がありました。

お客様への価値提供を第一に考えて働きたいその軸がとても自分にとっては大事だと再認識できました。

そんな時に、たまたま新卒時代の同僚がCEOを務めるスタートアップ企業へCFOの誘いがありました。そこで思い切って、スタートアップへのチャレンジへと舵を切りました。

―スタートアップへのチャレンジがここで始まったんですね!

はい、アドバイザリーは10年以上続けましたし、また違う環境でチャレンジしたいと思ったのが転職の理由です。

-CFOとしての業務にこれまでの仕事との違いはありましたか?また前職の経験が活かせた経験はありますか?

CFOとしての仕事は、個人の力量が組織に与えるインパクトという観点でいうと、一番大きかったように感じます。

そして自分がコーポレート部門を立ち上げる際に、フィナンシャルアドバイザリー業務の経験は非常に役に立ちました。自分が担当していたお客様は上場企業や大企業が多く、管理部門のあるべき姿やガバナンスレベルを業務を通じて肌感として知っていたので、課題発見や、やるべきことの棚卸しと優先順位の整理の際に生かすことができました。

-CFOとしてどのようなマネジメントスタイルを形成されましたか?

これまでより多様なバックグラウンドの方と一緒に仕事をすることになるので、在籍する組織によってマネジメントスタイルを変えなくてはいけないということをこの時改めて感じました。

スタートアップでは、マネジメントというよりはチームビルディング/リーディングという表現のほうがしっくりくるかもしれません。コーポレート部門の業務は社内にバラバラに存在しており、それらを巻き取りながら一定のルーティーンに落とした上で、それをさらに上のレベルに引き上げてくれる仲間を探して渡していくという行為の繰り返しでしたね。

新たな挑戦へ 医療業界とのタッチポイントが原体験を呼び覚ます

-CFOとして手腕を振るう中、今年9月にメディフォンヘと移籍されたきっかけは…?

医療の重要性を感じたことが大きなきっかけでした。
コロナ禍の中、家族が急病に罹った際に、病院に助けられ医療の重要性を感じました。

そちらの病気自体は入院すれば回復するものではあるのですが、コロナ禍ということもあり、非常に医療現場が逼迫している状況でもあったので、入院すること事態が容易にできる状況ではありませんでした。

その経験から医療のインフラとしての重要性を実感し、それを支える仕事をしたいと考えるようになりました。

-医療業界でのスタートアップは数多くある中でメディフォンを選ばれた理由はなんですか?

まず、多言語支援・医療通訳という側面が自分の中でマッチしました。

私自身がアメリカに留学し、海外の企業で働いたことがある中で、現地でケガや病気をした時の言語面での苦労を認識していました。また自分が本来大事にしていた様々なバックグラウンドを持つ人達と一緒に色々なことをやりたい、それが容易になる環境を作りたいという理念にも合致するとも思いました。当社の場合、「多言語」という切り口で、外国人の方が日本で安心して暮らすインフラとして機能しているので。

さらに、企業フェーズとして、医療通訳サービスの「my mediPhone」で培った様々な資産・ネットワークをレバレッジして、足元では「予防医療」「健康管理」分野のSaaSである「your mediPhone」というプロダクトもローンチしており、既に複数の受注実績があることから、1つの企業の中に多言語×医療という軸を通して、すでにブランドや収益が確立されている事業と新しい事業が混在している中で、そこに対して自分が資本政策等を通じて発揮できるバリューがある、チャレンジのし甲斐があると感じたのも理由の一つです。

医療通訳サービス「my mediPhone」

健康管理「SaaS your mediPhone」

-現在、CFOとして実際にどんなお仕事をされていますか?

コーポレート部門の立ち上げをしていますが、まずは社内に散らばる機能を集約し、フローを整理して高次元に持っていくという守りのミッションがあります。
加えて、営業支援等も積極的に行っていくことで、守りだけでなく攻めの支援もしていくというスタンスでいます。もともとフロントでの業務経験もあったので、自分としてもコーポレート部門に従事しながらも事業拡大に寄与したいという思いも強く、やれることは何でもやろうと思っています。

-どんな時に仕事にやりがいを感じますか?

組織が急激に変化を起こす瞬間です。私は自分のことを馬力がある人間だと思っているのですが、その馬力に感化されて他のメンバーが確変を起こすことがあります。私が旗をガンガン振っていき、組織を後押ししていくのですが、ある時、その勢いが乗り移ったかのように組織として放っておいても前に進んでいく瞬間が来るんです。その時はアドレナリンが出ます。

その感覚は組織をゼロから作って、前に進めていく中で何度も経験していますし、
これこそがチームリーディングや立ち上げの醍醐味の一つなのではないかと思います。

「自分が何をやりたいか?」「なぜしたいか?」を真剣に考える

-坂本さんが5年後、10年後に思い描くビジョンはありますか?

アドバイザリーの世界からキャリアをスタートさせて、CFOとしてはまだまだですので、これから組織拡大で直面するコーポレートイベントをたくさん経験していきたいと思っています。

コロナ禍による産業の転換期の真っ只中、その中で、弊社の事業は中長期的な目線で考えた時に必要な事業だと考えています。事業拡大にコーポレートの立場でどれだけ寄与できるか?それを考えてこの先も仕事を頑張っていきたいと考えています。

-キャリア形成や転職について読者へのアドバイスをいただけますか?

自分の場合は、割と「自分がやりたいこと」ばかりをやっているように思います。
おかげで自分のキャリアに対しては全くストレスがありません。
いくら年収や待遇が良くても、やりたくないことばかりをやるのは人間的には辛いと思います。

自分が何をやりたいのか、なぜやりたいのかはきちんと整理した上で転職をするか、働き方を変えるのかを決断すると良いかと思います。

私は転職回数が多いですが、各職場での日々は非常に濃く、転職する時は必ず何らかの目標を達成して、「やり切った」という思いで次のチャレンジに向かっています。

脳みそを使ったことで身につく基礎力やポータブルなスキルは、アップデートは必要であるものの簡単には劣化しません。転職を考えていらっしゃる方は、ご自身の本源的な強みが何か、どのスキルがポータブルなのか、かつ自分の志向にマッチするか、という点をしっかり考えてみてはいかがでしょうか。

-本日はお話いただきありがとうございます!
今回お話をお伺いした、坂本氏がCFOを務めるメディフォン株式会社のHPとプロダクトに関するページはこちら!!

メディフォン株式会社HP
医療通訳サービス「my mediPhone」
健康管理「SaaS your mediPhone」

この記事を書いたライター

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