公認会計士試験合格後、大手監査法人で実務経験を積み、その後事業会社へ転職された波多野佐知子氏。現在は株式会社じげんで取締役 執行役員・経営管理部部長として活躍されている波多野氏に、今までのキャリアアップの背景、産休・育休での経験、今後の展望などについてHUPRO編集部がお話を伺いました。
【略歴】
2006年 | 名古屋大学経済学部卒業 |
2006年 | 公認会計士第二次試験に合格。有限責任あずさ監査法人入所 |
2010年 | 公認会計士登録 |
2011年 | ライフネット生命保険株式会社に入社。経理部マネージャー、IPO準備担当、経理部長を経験 |
2018年 | グロービス経営大学院 入学 |
2018年 | 株式会社じげんに入社。(入社時:経営管理部ゼネラルマネージャー⇒同年10月より経営管理部部長) |
2020年 | グロービス経営大学院 卒業 |
2020年 | 同社執行役員就任 |
2021年 | 同社取締役就任 |
【キャリアグラフ】
―波多野さんはどのような学生時代を過ごされていましたか。
好奇心が旺盛で、色々なことに挑戦しては達成することにやりがいを感じていました。自分で目標を決めてここまではやり切ろうとすることが得意で、その姿勢は習い事や勉強面で表れていましたね。一方で、緩く遊ぶことが苦手でそういったことはあまりしてきませんでした。
―公認会計士を目指したきっかけを教えてください。
公認会計士を目指したきっかけとして、公認会計士である父の存在があります。父から公認会計士を目指しなさいと言われてはいましたが、実際に会計士が何をしているかは知らず、会計士として働くことよりも、難易度が高い公認会計士試験に合格することが目的になっていました。経済的に自立したい、働き続けたいとは思っていたので、その手段として公認会計士を選んだことも目指したきっかけの一つです。
もう一つは、逆に父の言うことを受け入れてそこから自由になる、ある意味反骨精神です。私は制約を感じると燃えやすい性格なので、この制約から自由になるにはどうすればいいかを考えることでギアが入っていました。
―会計士試験に合格されて、その後有限責任あずさ監査法人に就職されていますね。ここでモチベーションがぐっと下がっていますが……
公認会計士試験に合格すること。監査法人で仕事をすること。経済的自立とこれまで目指していた目標を達成したことで、今思えば仕事をしている感覚があまりなかったように感じます。当時は今ほど仕事に身が入っておらず、意識も低かったですね。
―そこからモチベーションや仕事に対する意識が変わったきっかけは何ですか。
意識が変化したきっかけは、監査法人でのインチャージ経験です。スタッフとして働いていた時は、言われたことをこなしていく受け身の姿勢でした。
しかし、インチャージはクライアントに対する窓口となるので、大事な相談を受けたり会計処理について頼られたりと重要な判断を求められることが多くあり、そこで仕事に責任感を持つようになりました。
今までと違って、「この仕事は自分でやったんだ」という実感に繋がり、当事者意識が芽生え、仕事に対するモチベーションが上がりました。
仕事に対して責任感や当事者意識が増せば、モチベーションも上がるという自分のキャリアアップのサイクルに気が付くことができました。このインチャージ経験では、自ら目標設定をし、それに取り組み達成することをやりがいとしていた学生時代の経験とリンクしていました。
―監査法人を経てライフネット生命保険株式会社に就職されていますね。転職のきっかけはどのタイミングでしたか。
監査法人でインチャージを経験したのが入社3年目で、ちょうどその時は公認会計士の終了考査を終え、資格を正式にもらう時期でした。それから1、2年して、もっと当事者意識を高めて働きたいと思い、転職活動を始めました。
―先ほど仰っていた当事者意識の必要性が転職のきっかけとなったのですね。転職活動の軸にしていたことは何かありましたか。
事業会社について詳しく見るのは初めてで、尚且つ職種の幅を限らずに広めたいと考えていたので、この時は気になった会社には勢いで全て受けに行きました。また当時は、上場準備の業務に興味がありましたのでその観点も軸の一つとして転職活動をしていました。
また、会社の内部統制を構築したり、決算開示資料を作成する仕事であれば、監査法人時代の経験が生きると思っていました。自分のスキルを活かし裁量をもって働ける環境を考えたときに、当時上場準備をしていたライフネット生命に魅力を感じ、転職することにしました。
―ライフネット生命保険株式会社に転職し、初めて事業会社に勤めて感じた苦労や、新たに身に付けたことはありましたか。
苦労したことの一つは、決算書類などの作成業務です。監査法人では会社が作った決算書類や伝票を見て指摘する立場でしたが、事業会社に入ってからは自分で作る側になります。
作るところから参加するのはこれが初めてで、非常に苦労しました。もう一つは、社内の他部署の人とのコミュニケーションです。監査法人ではこちらが「先生」という立場だったこともあり、話をする場が用意されている状況で、自分の提案が相手に受け入れられやすい関係性でした。
しかし、事業会社では相手になるのは同じ会社の社員。自分の立場も「先生」ではなく「一経理の人」となります。どうすれば自分の提案を相手に受け入れてもらえるか、協力してもらえるのかが初めは全く分からず苦労しました。
思考錯誤し、小さなエラーを重ねながら様々な取り組みをしました。
相手の繁忙を把握して各種の依頼をしたり、お互いにとってのメリットを提示したりしました。最後はスムーズなコミュニケーションが生まれる工夫が自然にできるようになりました。
―そしてライフネット生命の上場と共にモチベーションが上がっていますね。初めての上場ではどのようなことを感じましたか。
私は目標設定してそれに向かって取り組むことが好きなので、上場に向けて準備し、目標を達成するためにタスクをこなしていくことにやりがいを感じていました。また、上場は同じ会社で1度しかない機会ですので、会社にとっての初めてを共に経験できたことも達成感に繋がっていましたね。
―波多野さんご自身の産休・育休のタイミングでモチベーションが落ちているように見えますが、ここでは仕事をしたい気持ちとの葛藤はありましたか。
仕事にセーブをかけなければいけないことに葛藤を感じていましたね。産休が決まった時期から新しいことを始めても、中途半端になり、同僚に迷惑をかけてしまうことが分かっていたので、自分でブレーキをかける状況にモヤモヤしていました。
私は制約がかかるとむしろやる気になるので、ここではモチベーションが下がったというよりはエンジンを貯める期間と言えます。
―確かに、復職されてからは今までにないほどモチベーションが上昇していますね。
復職してからは、それまで貯めていたやる気を開放させたので、これもある意味制約のおかげですね。その後、経理部長も経験したので、役職が上がることに比例して責任感とモチベーションが増え、自らのキャリアアップのサイクルを辿ることもできています。
その頃、私の子供が3歳になるくらいで子育てが少し落ち着いてきたタイミングでもありました。何か新しいことを学びたいと考えるようになり、グロービス経営大学院に単科生として通い始めました。単科生制度は本科入学前に1科目から学べるので、ライフネット生命で働きながら大学院に通い学んでいましたが、授業を受けたらとても面白く、ここで更に学びを深めたいと勢いがつきました。
―その後、グロービス経営大学院に入学するのとほぼ同時期に株式会社じげんに入社されていますが、なぜ転職がこのタイミングだったのでしょうか。
グロービスで新たな学びやインプットが久しぶりに増えたことでモチベーションのギアが加速し、仕事も更に充実させたいと思い転職に至りました。
じげんには2018年2月に入社したのですが、グロービスには同じ年の4月に入学しました。大変なことに大変なことをかぶせて自分を追い込んでいましたね。それも、産休・育休で貯まったやる気を開放したいという気持ちからでもありました。
―なぜ株式会社じげんに転職を決めたのでしょうか?
それは、自分の仕事の幅を広げられると考えたからです。ライフネット生命では経理として働いていましたが、それが私にも会社にとっても適材適所でフィットしすぎていたため、他部署に異動する機会がありませんでした。
じげんは当時、経営管理部部長候補を募集していたので、それなら労務や総務など職種の幅が広げられると考えました。じげんは連結決算を行い、国際会計基準を適用しているので、経理としても知見を深められると思い、更にM&Aにも積極的に取り組んでいるので、この3つの掛け算が自分を拡げられるチャンスだと感じ、じげんに転職することを決めました。
―波多野さんはキャリアを辿るごとに自分がやれる範囲を拡げていますね。じげんに転職し、役職が経営管理部部長に上がった直後にモチベーションが急激に落ちていますが、キャパオーバーとはどのような状態だったのでしょうか。
私自身が人生で初めてキャパオーバーを経験したため、グラフをこのような形にしました。じげんに入って驚いたことは、まず仕事のスピード感。次に意思決定の速さです。
事業会社経験はあっても、ライフネットの時とはカルチャーも大きく異なり、最初は自分の動き方を変える苦労がありました。それでも自分の想いを短いスピードで実現したいと思い、決算整理やM&A、更には他部署の役割など、様々な仕事を引き取り自分がやれることを増やしていきました。自分自身のタスクが多いことには耐えられましたが、部のメンバーからすると、混乱と不安で仕方がなかったと思います。
しかし、私自身が多くのタスクを抱えていたため、周りをフォローし切れず、メンバーの不満が溜まっていったり、現状の抜本的解決ができなかったりして、結果的に自分も周りもキャパオーバーしてしまいました。私自身の転職理由もキャリアを拡げたいという、利己的とも言えるもので、職種の幅を広げる、経理の深み、M&Aへの関与の3つについて、短期で実現してきました。しかし自分のペースに巻き込むことで、周囲に迷惑をかけていたことに関しては、とても落ち込みました。
―そこからどのようにして乗り越えていったのでしょうか。
今までは目の前の課題に常に全力で取り組んできましたが、現在は、自分が今やるべきこと・やらなくていいことの取捨選択をきっちりと行うことで、安定して現状を俯瞰して見ることができるようになりました。
自分がキャパオーバーしてしまっては組織の不測の事態にも対応できないですし、周りを助けることもできないので、今は自分のキャパの8割は超えないようにしています。後で振り返って落ち着いて考えてみたら、経営管理部部長の自分が機能しなくなることは会社にとってリスクであり、役割責任を果たせていないことになります。当時は冷静な判断力を失っていたことに気が付きました。
―波多野さんご自身の仕事に対する意識が変わったのですね。
私はもともと課題解決思考なので、課題解決ばかりに集中する癖がありました。でも、私がやらなければいけないのは目の前の課題を解決することじゃなく、組織の将来像を見据えて逆算し道筋を作っていくことであり、それこそが自分にしかできないことだと気付くことができました。3年後5年後、会社や組織がどうなっていたいかを考えて、じゃあこの課題は重要度は高くないよね、この課題は抜本的に解決しないとまた同じ起こるよねと、今やるべきことを選別しやすくなりました。
また自分が求められること全てに対応しようという意識を辞めると、結果的に他のメンバーも自分で考えて先回りして動く人が増えてくれ、今では頼もしいメンバーもたくさんいます。自分のマインドセットを変えたことで、以前であれば課題を先送りすることにモヤモヤしていましたが、今は未来を見据えることで納得感をもって決定できるようになりました。
―これから5年後、10年後、どんな未来を描いていますか?
今までは役職が上がることで責任や当事者意識が上がり、仕事に対するモチベーションが上がるサイクルが確立されていたのですが、じげんで執行役員~取締役に就任したあたりから、自分のキャリアアップとモチベーションがリンクしなくなりました。モチベーションを意識せずに働けるようになったので、キャリアグラフでは点々になっています。
自分の感情の振れ幅が少なくなり今後会社をどう変化させていくことが良いのか、そのために何をすべきかに集中するようになったので、より気持ちよく仕事できるようになりましたね。じげんは、他社にはない良いところがたくさんあるのでそれを進化しつつ、どこにも負けない強い会社にしたいと考えています。
―最後にヒュープロマガジンの読者に向けて一言お願いします。
まず、働く女性に向けたアドバイスは、自分がどうしたいかははっきりと伝えることを推奨します。もちろん、女性であることで良い面もあるのですが、一方で産休や育休などワークライフバランスの先入観を受けやすい面もあります。私は育休から復職してすぐに働きたいと思っていましたが、何も言わないと、周りからは厚意でセーブさせないといけないと思われがちでした。
性別の違いや、子供がいる、いない等の分かりやすいファクトでカテゴリー化されがちですが、100人いれば100通りの考えがあると思います。少なくとも自分のスタンスをある程度決めたうえで上司や人事に意見を言い、ディスカッションすることが大切だと思います。
経営管理部門としてのアドバイスは、知識を持つだけではなく使いこなせる能力を身に付けることが必要になるということです。今はなんでも調べれば分かる時代なので、知識の付加価値が以前より下がっています。今後大事になってくるのは、専門性の高い情報を集め、内容を理解したうえでそれを事業や会社に当てはめて、最適解を選択し、周りを動かしていく能力だと思います。このようなことに対して、やりがいを感じる方も多いのではないでしょうか。キャリア形成頑張ってください!
―本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。