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バックオフィスはゲームチェンジャーになり得る!守りと攻めのバランスを考えぬき、戦い続ける福澤 秀一氏の挑戦に迫る

HUPRO 編集部
バックオフィスはゲームチェンジャーになり得る!守りと攻めのバランスを考えぬき、戦い続ける福澤 秀一氏の挑戦に迫る

LIFULL株式会社の同社執行役員CFOグループ経営推進本部本部長を務める福澤秀一氏は、新卒でアイル株式会社(現・GMOグローバルサインHD)に入社し、経理、経営企画に従事し、2007年に株式会社ネクスト(現・株式会社LIFULL)に入社し、2019年現在の役職に就任。同社に入社されるまでのキャリアパスや入社の背景、同社での経験、今後の展望などをHUPRO編集部がお話を伺いました。

【ご経歴】

2002年 大学卒業
2002年 アイル株式会社(現・GMOグローバルサインHD)入社 経理部
2004年 同社経営企画室
2007年 株式会社ネクスト(現・株式会社LIFULL)入社 経営企画室
2011年 同社コーポレートコミュニケーショングループ グループ長
2015年 同社経営管理部副部長兼コーポレートコミュニケーショングループ長
2016年 同社グループ経営推進本部副本部長
2019年 同社執行役員CFOグループ経営推進本部本部長

【キャリアグラフ】

小学生の頃のあだ名は「歩く計算機」

ーまず、経理の道に進まれた経緯を教えてください。

もともと数字が好きでした。なぜそう呼ばれていたかはよくわからないのですが、小学生の頃のあだ名は「歩く計算機」でした。きっとなにかにつけて数字でたとえていたのでしょうね(笑)。

高校の進路相談の時には、「将来は数字に関わる仕事がしたい」と言っていました。当時、まだ新しい分野だったマーケティングにも興味があったので、大学は経済学部へ進学しました。

ー大学で簿記に出会われたわけですね。

そうです。3年生の時に選択した簿記論がとてもおもしろかったのです。他の勉強は手を抜いてばかりでしたが、簿記論だけは満点でした。今思い出しても楽しかったですし、在学中に日商簿記検定を自主的に受けるなど、今考えてもはまっていました。

雇用形態にこだわらず「職種」で就職活動

ー在学中には就職活動をされなかったそうですが。

大学在学中は、アルバイトばかりしていました。仲間とバンドを組んで活動もしていて、学校にあまり出席していなかったのです。そうなると当然の事ですが、4年生になった時に単位が足りず、卒業見込みが出ません。大学は絶対に4年間で卒業したかったので、1年間で不足している単位を取ろうと必死でした。その結果、就職活動をする時間がなかったのです。

ー卒業までに就職先が決まらないのは不安ではありませんでしたか?

当時は正社員就職氷河期で、全体的に就職難でしたので焦りはありませんでした。いずれ働き口は見つかるだろうと思っていましたし、それよりも「卒業しなきゃ!」という焦りのほうが強かったです。

それに正社員での採用は総合職が多いので、私が希望する経理の仕事に就くには、正社員では無理だと思っていました。週5日、1日8時間仕事をするのなら、好きなことじゃないと続かないと思いましたので、雇用形態にはこだわらず、最初はアルバイトからでもいいので、職種優先で探すつもりでした。

幸いなことに、卒業後の3月から就職活動を始めて、4月には希望の職種へ就職することができました。

東証マザーズ上場に向けてモーレツに働く

ー経理の仕事はやりがいがありましたか?

経理部での仕事はとても楽しかったです。座学だけでは学べないようなことを実務で経験することができ、慣れてくると改善点も見えてきましたね。当時紙ベースだった経理関係の書類を、エクセルやAccessを用いてデータ化し、月次決算の締め日を3営業日短縮できました。

ただ、楽しさばかりではなくて、ストレスもかなりありました。管理部門は一般的に保守的ですし、当時は昔の慣行が多く残っていたので、仕事以外の付き合いが負担だったのでしょうね。仕事も会社も好きだったのですが、最後は人間関係のもつれが原因で精神的にバランスを崩してしまいました。

会社を辞めることも考えましたが、なんとか踏みとどまり、半年間休職させてもらい英気を養いました。復職後は経営企画室への配属となり、本社の経営企画と、立ち上げたばかりの子会社の管理部門全般を担当しました。

ー経営企画室では東証マザーズの上場に関わられたそうですね。

 
2004年の7月に経営企画室で復職し、翌2005年12月に東証マザーズ上場を果たしました。その間の1年半位、残業を月100時間以上するほどモーレツに働きました。当時はまだ36協定がなかったので、会社に泊まり込み、2~3時間の睡眠時間で働いていたと思います。

チームは室長を含め3名だけ。少人数で短納期、そして業務量が多い仕事でしたので、常になにかと戦っているかのようでした。私は負けず嫌いなので、この″戦い″には絶対に負けたくないと必死に仕事をしていました。

無事に東証マザーズ上場を迎えた日、記念式典で鐘を5回鳴らすのですが、そのうちの1回を私も含めた経営企画3名で鳴らさせてもらいました。今までの努力が報われたと感じ、達成感でいっぱいでしたね。あの仕事は、私の仕事人生の中で一番の充実した思い出かもしれません。

IRという新たなフィールドへの挑戦

ーその後、転職をされたのはなぜでしょうか。

燃え尽き症候群になってしまったのが原因です。マザーズ上場の後、仕事に対する意欲がなくなり、自分らしさというものを見失いかけました。社内では重宝される存在になっていましたが、井の中の蛙にはなりたくないという思いもありました。自分が他の会社でも通用するのか、成果を出せる人間なのかということを試したくなったのです。

転職するにあたって、今までと同じことをするのではおもしろくないので、会計や経理の知識を生かして、新たな経験ができる職種としてIR(Investor Relations)に挑戦したいと考えました。

ー株式会社LIFULLを選んだ決め手はなんだったのでしょうか?

転職エージェントに依頼して、IR未経験でも採用してくれる会社を探していただきました。紹介していただいた数社に応募した中で、いち早く採用面接をしてくれたのが株式会社LIFULLでした。

面接が進み、社長の井上高志に会った時に、井上の世界を変えたいという想いと仕事に対する熱量の高さに惹かれました。「この人と一緒に仕事をやってみたい、絶対に楽しい!」と思ったのです。結局、他社を見ずにネクスト株式会社(現・LIFULL株式会社)への入社を決めました。

期待された喜びとそれに応えたいという想い

ーリーマンショックの影響で会社として困難な時期であったと思いますが、福澤さんが会社に留まったのはどうしてでしょうか?

2009年1月にリーマンショックで弊社の株価が大きく下落し、株主から問い合わせの電話が殺到した時は、さすがに私も会社を辞めようかと考えたことがありました。決算の下方修正の発表を出すまでの1か月間、株主へ十分に説明できず、もやもやとした気持ちで日々過ごしていた頃です。

上司に早く下方修正を出しましょうと進言しましたが、結果的には予定通りのスケジュールで発表しました。しかし、その後は株主に対してきちんと理由を説明できるようになったので、会社を辞めずに持ちこたえることができました。

ー心のもやもやは「なにもできない」ということが原因だったわけですね。

少し落ち着いて自分の気持ちを理解できてからは、会社を辞めようかと考えた自分を恥ずかしく思いました。そして私の意見を受け止め、向き合ってくれた上司や、今までの仕事を認めてくれた会社のために、自分がやれることをどんどんやっていこうという気持ちになりました。

私はそれまで、振られた仕事は全力でやってきましたが、基本的には「指示待ち」の姿勢だったのです。しかし離職者が増えて、誰かがやらなくてはならないのに、誰もやらない仕事があちこちに出てきた時に、そういう仕事を積極的に取りにいくことこそ会社が望んでいることだと理解しました。

それからは、自分から積極的に動くようになりましたし、そういう姿勢を評価してくれる風土が株式会社LIFULLにはあります。こうして仕事が仕事を呼んで、キャリアアップにつながっていったのだと思います。

ー株式会社LIFULLではどのようなキャリアをたどられましたか?

入社後は、経営企画室責任者としてIR組織を基礎から作りました。2010年に東証マザーズから東証一部への市場変更を担当し、このプロジェクトメンバーとして社長賞を受賞しました。

主力事業の課金形態を変更したことで一時的に会社の業績が悪化し、離職者が増えていく中で、2011年に広報チームの責任者が辞めました。その時に、「福澤、やってみないか」と私に声が掛かりました。

「広報は未経験だと知っているけれど、福澤ならやってくれると思う」と当時の上司に言われ、期待された喜びと、それに応えたいという想いが湧きました。
そしてIRと広報を合体させたコーポレートコミュニケーショングループという組織のグループ長になり、コーポレートメッセージとブランドイメージを刷新するプロジェクトを推進しました。その後、バックオフィスの責任者を任され、現在に至ります。

「自分がどう立ち振る舞うか」がマネジメントの鍵だった

ーコーポレートコミュニケーショングループの組織長としてどのようなことに取り組まれましたか?

スタッフのモチベーションを上げることに取り組みました。当時は会社の業績悪化の影響で離職率が上昇し、スタッフのモチベーションが非常に低下していたからです。私の所属するコーポレートコミュニケーショングループも雰囲気が悪かったのです。

問題を洗い出すために、スタッフと上司(私)に対するネガティブミーティングをしました。そこで出てきた不満が2つあって、それが私にとって大きな気付きとなりました。

ーどんな不満だったのですか?

一つ目は「福澤は褒めてくれない」ということ、二つ目は「なんのための仕事をしているのかがわからない」ということでした。
スタッフは皆、「仕事なのだからやるのは当たり前だ」ということはわかっているのです。ただ、「当たり前だけれど褒められたいし、感謝されたい」という気持ちが満たされていないのでおもしろくなかったのでしょう。
また、仕事をふられたときに、これが「なんのための仕事なのか」ということを理解していないと、単なる作業になってしまいます。自分が会社の役に立っている実感がないので、そこにやりがいを見出せなかったのです。

ーそれまでのマネジメントを振り返るきっかけになったのですね。
私はそれまで、「仕事なんだからやってよ」というマネジメントをしてきました。それは、勉強にも就職活動にも失敗した自分と比べて、他の人たちは優秀だと思っていたからでした。「皆、優秀なのだから、優秀ではない自分と同じことができて当然だ」という考えが根底にあったのです。

結局は、「私自身がどう立ち振る舞うか」でマネジメントの成否も決まるとわかったので、それからはスタッフにあれこれ指示をする前に、まず自分の行動を変えていきました。その結果、スタッフのモチベーションも上がっていったのです。

バックオフィスで「わくわく働く」

ーバックオフィスのモチベーションを上げるために、どのようなことをされたのか教えてください。

基本的にはコーポレートコミュニケーショングループと同じで「褒める」ことと「なんのための仕事なのか」という意識付けをするようにしましたが、バックオフィスは会社の裏方で、ルーティーンが多い仕事です。やって当たり前だし、ミスをすると怒られる。仕事にやりがいを見出すのはなかなか難しい部門です。

そこで、仕事の作業効率を上げる工夫をして時間を作り、新しいものを生み出して「わくわく働く」ということを提案しました。そのために定期的にミーティングを行い「わくわくしないことを取り除いていく」ということに取り組みました。

具体的には、ちょっとしたもやもやでも気になっていることを出し合い上司に伝える。上司はそれを受け止め改善し、2~3か月おきにフィードバックするのです。また私は言霊を信じているので「わくわく働く」を標榜すると、「ワクワクするにはどうしたらいいか?」と考えてくれるメンバーが増えました。その結果、部内の風通しが良くなり、心理的安全性のある組織を作ることができ、全体的なモチベーションを上げることができました。

ー福澤さんが考えるバックオフィスのやりがいとは?

「守ることと攻めることのバランスを考えぬき、そのうえで仕組みを作り会社を変革させられる」ということです。私は基本的に、社内のルールはないほうがいいと考えています。それぞれが自主的に規律を持って行動することが理想だからです。しかし組織の規模が大きくなると、どうしてもルールが必要になってきます。

ルールには2つの種類があります。一つ目は悪い人を取り締まる、悪いことが起きないように予防するルール、二つ目は、作ったほうが業務が効率化されるルールです。

私は後者のルールを増やすことが、フロント部門、ミドル部門の業務を効率化し、結果的に会社の業績アップにつながると考えています。どこまでが最低限必要なルールで、ここから先はルールで縛らないほうがいい、作らなくても大丈夫というせめぎ合いにやりがいを感じていますね。
その結果、全社の行動変容が起こって会社の変革が進んでいきます。

会社が良くなれば世の中も良くなる

ー福澤さんが大切にしているマインドセットはなんでしょうか?

「肯定的で楽観的で能動的であれ」ということです。この3つが備わってから、私のモチベーションは安定的に保たれています。

私がミドルマネージャーだった頃、私は上司に多くを期待していました。スタッフに自分と同じように仕事をすることを求めていたように、上司にはより多くのことを求めていました。そしてそれがなされないことに不満を持っていたのです。

でも、「上司は自分が支えるべき存在」と気持ちを切り替えてからは、自分がどうすればいいかということだけにフォーカスできるようになったので、気持ちの揺れはなくなり、仕事がしやすくなりました。

ーこれから管理部門を目指す方へアドバイスをお願いします。

私はバックオフィスというのは「守る」部門ではなく、会社をどう良くしていきたいかを積極的に考える「攻める」部門だと思っています。

自分たちが作ったルールで、会社全体を良い方向へ動かしていくことができる。バックオフィスはゲームチェンジャーのような大きな役割を担っていると思います。

そして、「会社が良くなれば、その先の世の中も良くなる」というような、広い視野を持ったバックオフィスパーソンとして活躍して欲しいです。

ー本日はお話を聞かせていただきありがとうございました。
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この記事を書いたライター

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