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「周りの人を幸せにしたい。」想いを軸にCFOへ。Space BD株式会社CFO兼コーポレート部長赤澤栄信氏が語るコーポレート部門の魅力

HUPRO 編集部
「周りの人を幸せにしたい。」想いを軸にCFOへ。Space BD株式会社CFO兼コーポレート部長赤澤栄信氏が語るコーポレート部門の魅力

「宇宙に夢と商いを。」をコンセプトに、宇宙利用の新たな可能性を開拓し、様々な産業と宇宙を結びつけるSpace BD株式会社CFO兼コーポレート部長の赤澤栄信氏。CFOを目指されたきっかけやその後の歩みについてHUPRO編集部がお話を伺いました。

【ご経歴】

1999年 神戸大学経営学部卒業、日本生命保険相互会社入社。営業人事部(営業拠点長人事)で人事異動業務に3年間従事するもCFOを志し、会計士試験受験のため退職。
2004年 会計士試験合格後、新日本監査法人(現EY新日本有限責任監査法人)にて法定監査業務やIPO支援業務に従事。その間、神戸大学大学院経営学研究科(MBA)修了。
2014年 デジタルアーツ株式会社入社。親会社の取締役 兼 管理部長および国内外の子会社の役員を兼務しグローバルでの管理業務・IR業務に従事し、同社の企業価値向上に寄与。
2020年9月 Space BDに参画。CFO 兼 コーポレート部長就任。

【キャリアグラフ】

ラグビーから得た経験がCFOへの原動力に

-お人柄が分かるような学生時代のエピソードをお聞かせください。

父親が銀行員だったので転勤が多く、小学生の頃はゲーム中心の生活でした。しかし6年生の頃にこのままではいけないと思い立ち、ゲームを辞めて身体を鍛えることに専念しました。

その甲斐あって中学生で始めたラグビーでは地域代表に選ばれ、この経験が大きな自信になりました。初めて人に自慢できる特技となりました。高校はラグビーで有名な学校からスカウトが来たのですが、両親の反対に合い進学校へ。ラグビー選手になる夢を諦めるのだからと、社会人に対する思い入れがより強くなったように思います。
大学でもラグビーを続けて、日本生命に入社しました。

-生命保険会社を選ばれた理由は?

私は就職活動で常に営業職をイメージしていました。自分という人間を信じてもらえなければ、お客様に保険を購入してもらえないと考え、自分の人間力で勝負できる日本生命に決めました。

-入社後の配属は営業部ではなく、営業人事部でしたがモチベーションは下がりませんでしたか?

それはありませんでした。愛社精神は同期の中でも高い方でしたし、社会人にかける思いと自分の就職活動に一片の悔いもなかったです。
キャリアグラフでモチベーションが下がっているのは、自分への期待値が高すぎたことと、実力不足とのギャップが原因です。大学時代はラグビー部でキャプテンを務めており、狭い範囲ではありますが、部員が幸せになれるように行動していたつもりでした。

ところが日本生命のような大きな組織に入って、周囲の優秀な人に負けないように仕事をするだけで精一杯になってしまって。他の人を気にかける余裕が持てない自分に無力感を抱きました。自分なりに周りの人に楽しく働いてもらおうと、社内でラグビー部を創設するなどできることは挑戦してみましたが、なかなか思うような結果が得られず、モチベーションは落ちていきました。

そんな時に日産にカルロス・ゴーン氏がCOOとして着任し、劇的に業績を改善させる出来事が起き、「私がしたいのはこれだ!」と直感しました。学生時代はプレーヤーとしても一定の自信を持ってラグビー部のキャプテンを務める事ができていたことを思い起こし、やはり自分は自分が本当に自信の持てるものを軸に組織をより良くしていく役割が好きだと気付いたのです。知識と経験をもとに経営陣の1人として会社をドライブしていくCFO職に就きたいと考え、日本生命を退社しました。

公認会計士資格取得後、監査法人で研鑽を積んだ10年

-当時はCFO職が現在ほど一般的ではなかったと思うのですが。

そうですね。ロールモデルが日本人にいなかったので、公認会計士を取得したらCFOになれるのではと自分で仮説を立てました。そこで退社後、2年程勉強して資格を取得しました。

-短期合格できた秘訣はありますか?

日本生命での社会人経験があったので、仕事をしている感覚で勉強しました。辞めていなければ1日中仕事をしていたはずなので、その感覚で淡々と。

-その後EY新日本有限責任監査法人に入所されたのですね。お仕事は激務だったのでは?

私が入所した頃から海外のメソッドが入ってきて、仕事が急に増え始めた時期だったので大変でした。監査手法が変わっていったので、自分でCFOに近づくための周辺領域を身につけないといけないと考え、監査法人で働きながらMBAを取得し、経理や財務の責任者がどのような判断で会社を動かしているのかを近くで勉強させてもらいました。

-監査法人での10年間で何か変わったことはありましたか?

後に事業会社に入社してジャッジメント業務をした際に、監査法人での「情報を懐疑的に見て判断する」という経験が非常に役立ったと感じました。監査法人と事業会社という畑違いながらも若い頃からの積み重ねが活きましたね。

-メンタル面での変化はどうでしょう。

多少のことでは動じなくなりました。例えば、話し相手とお互いの目的が同じだったとしても意見が対立した時に、自分の主義主張を言えるようになったと思います。

私が考えるCFOの役割は経営のフェアウェイゾーンを示すことだと考えています。世間の常識が刻一刻と変化する中で、会社が万が一OBラインに踏み出そうとしたら、忖度することなく「OBラインですよ」と伝えなければいけない。それが会社と社会の間に立ち、会社を永続させていくCFOの役割だと思っています。

監査法人から事業会社へ、改めて感じた自分の原点

-2014年に監査法人を退所されてデジタルアーツへ。CFOとして入社されたのですか?

管理部長という肩書きで、CFO候補生として入社しました。私に求められたことは大きく3つ。1つ目は管理部門の再構築、2つ目は海外への事業展開、3つ目はIR業務です。1つ目、2つ目に関しては得意領域だったので不安はありませんでした。IR業務だけが未経験ではあったのですが、現在の会社の状態を正確に把握し、会社の将来について数字を使って語ることだと考えたら、できるという確信はありました。

-監査法人から事業会社に転職されて大変だったことはありましたか?

急に外部から入ってきた人間が取締役になることで、おもしろくないと感じる社員がいるだろうなと思いました。そういった社員にどのように信用し、認めてもらうか、最初は気を遣いましたね。

まず、管理部門の仕事は他と違い過去の積み上げだと考えているので、極力過去の否定はしないようにしました。後から入社した自分には様々なリソースが揃った今の状況しか見えていないけれど、一視点で判断せずに、過去の事情を考慮することを念頭に置きました。

もう一つは、会計士の文脈で話さないこと。監査法人で会計士をしていた時は、話し相手が経理部や財務部が中心なのでお互い共通の言語を持っていました。しかし、事業会社はそうではないので、他の人に分かりやすい言葉で会計や管理のことを説明し、気持ちよく働いてもらえるように配慮しました。

-その後、転職された理由を教えてください。

デジタルアーツでのIR業務が成功して、社長からも信頼を受け評価して頂いていました。一方で管理やIR領域を超えた役割は果たせなかった。ここでまた日本生命で感じたような無力の壁にぶつかったのです。そもそも私がCFOを目指したのはIR業務で評価されるためではなく、自分の周りの人を幸せにするためですから。そこで経営者として社長と同じ立ち位置で仕事をするために、スタートアップ企業を探し始めました。

自分の理想とするCFOの実現

-それで次にVoicyへ、そして現在のSpace BDに落ち着かれたのですね。

そうですね、ここでようやく自分の理想とするCFOになれたと思っています。このまましっかり社長と並走し続ければゴールに辿り着けるのかなと感じています。

-Space BDにはどういった経緯で入社されたのですか?

これは私の仮説ですが、様々なスタートアップ企業がある中で、成功するためには取り組む領域と経営者の条件が揃う必要があると考えています。
まず、領域を大きく2種類に分類しました。

課題解決型…世の中に顕在化している課題に取り組む会社
価値創造型…これまで世の中にない新しい価値を生み出そうとしている会社

課題解決型の会社は一定ラインまで成長することは早いですが、持続的な成長が難しい。世の中に大きな課題が無くなりつつある中で、取り組んでいる課題が解決した後、新しい成長戦略が見えないまま停滞する会社が多いように思うからです。一方で、価値創造型の会社はビジネスの成長が無限大ですので、こちらを私は探しました。

次に、経営者も2種類に分類しました。

投資家タイプ…一定のニーズがある領域を探し、必要なリソースを素早く用意し計画的に動く経営者
事業家タイプ…領域に対する熱意で動く経営者

私の中では、「課題解決型の会社と投資家タイプの経営者」、「価値創造型の会社と事業家タイプの経営者」の相性が良いと考えています。Space BDという会社と代表の永崎が、私が探していた後者に合致したのが最終的な決め手でした。

-Space BDで周りの人達を幸せにしたいという思いは実現していますか?

現状を考えると周りの人を幸せにしようというのはおこがましくて、どちらかというとみんなで幸せになろうという感じですね。もちろんそれを軸に自分も全力で会社や事業を成長させていこうという気持ちはありますが、自分1人でどうにかなる事業領域ではないので。みんなで幸せになろうと働いていて、その一体感がいいなと感じています。

-個人として、会社としての将来のビジョンをお聞かせください。

元々、大きな衝動を受けてCFOという役職を掲げてここまで歩んできましたが、一番大事なのはやはり自分の身近な人達が充実した毎日を送れるように働くことですね。今後の目標として、1人でも多くの人を幸せにできるような人間で居続けたいと改めて思います。

会社としての中間目標は宇宙の産業化を進めることです。現在の宇宙業界は黎明期で、どちらかというと供給サイドが先行しています。良い技術や製品が育っても、それをどうビジネスに活用するのかという視点が追いついていないところがあり、需要が顕在化していません。まだ見えていない需要を作り出し、ビジネスとして確立するように仕事に取り組んでいます。

私達がこの業界に参入する前は、衛星を打ち上げたい人はJAXAと直接交渉して厳しい安全審査を通す必要がありました。しかし私達が間に入ることによって、安全審査のサポートや、協力関係にある大学の力を借りて衛星の製造協力などもできるようになりました。アイディアを持っている人が衛星を打ち上げられる時代になっているのです。さらに最近では、教育事業と連携した企画も出ていて、こういった活動を広げて宇宙を身近なものにしていきたいと考えています。

-最後にこれから管理部門を目指すHUPRO MAGAZINEの読者の方にメッセージをお願いします。

新しい会社が続々と興り、大企業ですらそのままの存続が難しい現状で、いわゆる我々コーポレート部門の役割は会社を作り、時には作り直すことだと思っています。以前と比較して「人」がビジネスの中心になっていると感じる中で、コーポレート部門が果たすべき役割は拡大しています。会社を作ることや「人」に働きかけられるのがコーポレート部門の仕事ですので、やりがいは非常に高まっています。製品ドリブンやサービスドリブンというよりは、組織ドリブンで作られる会社が非常に多いので、あくまでも管理系統と捉えるのではなく、会社を作るという気概を持ってこの領域に飛び込んできたらおもしろいキャリアが歩めるのではないかと思います。

-本日はお話をお聞かせ頂き誠にありがとうございました。

今回お話を伺った赤澤氏がCFO兼コーポレート部長を務めるSpace BD株式会社のホームページはこちら!

この記事を書いたライター

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