㈱丸井で接客業務に10年間従事し、監査法人や証券会社への出向を経て、現在は(株)ジーネクストの取締役CFOを勤める三ヶ尻 秀樹氏。今回は33歳に退職し、まったく違う職種である公認会計士に挑戦した三ヶ尻氏の特殊な経歴、年齢を重ねてからの公認会計士へチャレンジした理由、今後のビジョンなどについてHUPRO編集部がお話を伺いました。
【ご経歴】
1995年4月 | 株式会社丸井 |
2006年12月 | 新日本監査法人(現EY新日本有限責任監査法人) |
2019年1月 | 株式会社ココペリ 執行役員CFO |
2019年11月 | 株式会社ジーネクスト取締役CFO 就任 |
【キャリアグラフ】
ー30代で公認会計士になったという珍しい経歴をお持ちですが、どのような学生時代を過ごされていたのですか?
大学は横浜市立大学に入学して、会計学研究部に所属していました。それまでに2年間の浪人生活を経験しています。
浪人生活は想像以上にハードでして、この経験から「何事にも全力で取り組む姿勢」が身に付き、今日の自分を形成しています。
実は大学へ入学してすぐに、公認会計士を目指すために専門学校に申し込んでいます。
ただ、その頃は大学受験と同じ轍を踏まないために、大学に入っても勉強を続けたいという軽い気持ちで申し込みました。
将来に活かせる資格だからという漠然とした理由で「公認会計士」を選んだため、モチベーションが低く、1か月くらいで専門学校に行かなくなってしまいました。
そもそも簿記の勉強をした際に、自分には全く合わないと感じていましたからね(笑)
その後、公認会計士の資格とは無縁のまま、就職活動をスタートさせました。
ー就活活動はどのような軸で企業を探していましたか?
そうですね。
人と話すことが好きだと感じていたので、化粧品やアパレルなどの小売業への就職を狙っていました。BtoC業界に絞って就職活動をしていたので、金融関係は一切受けていません。
その後、株式会社丸井に就職し、接客業を約10年間続けました。業務自体は大変楽しく感じまして、飽きは一切こなかったですね。
ー楽しく仕事をされていたのだと思いますが、その後はどうして公認会計士を目指されたのですか?
10年間勤務して、「40歳を過ぎて接客の仕事を続けられるイメージ」をもてなくなったのが理由です。
この思いが強くなってしまった以上、全力で仕事に尽くせなくなってしまったので、仕事を辞めました。自分を見つめ直す中で、接客以外にも自分とマッチする新たな仕事があるかもしれないと考えました。
ただし、当時30歳を超えていましたし、スキルは接客のみ。PCスキルは皆無です。
このままでは転職活動は厳しいものになると感じ、キャリアに活かせる資格を取ろうと決意しました。
そこでふと、大学時代に公認会計士の専門学校に通っていたことを思い出しました。
ー専門学校に申し込んでいたことは無駄ではなかったのですね。
大学在籍時はそのように思いませんでしたが(笑)
ただし、公認会計士の仕事内容に関してはよく分かっていませんでしたので、今回はしっかりリサーチを行い、覚悟をもって挑戦しました。
勉強に専念するために㈱丸井を退職し、3年間予備校に通い続けました。
ー働き盛りの30代に仕事を辞め、公認会計士試験に挑戦することとなりました。不安はなかったのですか?
不安を感じる暇がないほど、必死に勉強しましたね。余計なことを考える余裕がありませんでした。
ただ、大変だと感じたことはありました。特に初期は黙々と机に座って勉強することに慣れていないためか、発熱を繰り返していましたから。相当、ストレスがかかっていたようです。
それでも頑張れたのは、大学受験の浪人生活の経験があったからです。全力で勉強に取り組み続けました。
3年間、朝7時~22時までひたすら勉強。㈱丸井で勤務していた頃の貯金を崩しながら生活をやりくりしました。
ただ、2年目に受けた試験で落ちた時は相当落ち込み、心が折れそうになりましたね。「まだ続くのか」という気持ちがありましたから。
それでも辞めなかったのは「もう2年間も働いていないこと」や「35歳でバックオフィス経験がないこと」、この状態では転職は無理だと感じ、後がない状況だったからこそ、むしろ絶対に合格してやると強い覚悟をもちました。
3年目の試験で合格した際は涙がでましたよ。
ー試験合格後は、どのよう流れで就職したのですか?
公認会計士試験に合格後は、新日本監査法人(現 EY新日本有限責任監査法人)に入所。
新しい制度が導入され始めた時期でしたので、ちょうど監査法人が人材をたくさん採用していた時期でした。
そのため、35歳の私でも驚くほどすんなり、採用が決まりました。
ー念願の公認会計士としての仕事ですが、どのようなことが大変でしたか?
事務周りの経験が一切ないため、何をするにも大いに時間がかかったことですね。最初は大手企業の監査業務を担当しましたが、エクセルも触ったことないですし、メールの文面すらも作成できませんでした。
業務自体も激務でしたので毎日、遅くまで仕事と勉強をしていました。メンタルが鍛えられましたよ。
ここでも浪人時代身につけたマインドが活きましたね。もっとも35歳という後がない状況が必死さに拍車をかけたこともあります。
20代で入所していたら、ここまで頑張れなかったかもしれません。
また㈱丸井の接客で培ったコミュニケーション力も活き、クライアントやチームメンバーと積極的に交流することができました。
ーその後、証券会社へ出向されていますね?希望を出されたのですか?
そうですね。私から出向を希望しました。
これは大手企業の監査業務の後に、ベンチャー企業を顧客とした部署に異動したことが要因です。
新しい部署では監査業務の他にスタートアップ企業向けの展示会やセミナーに参加、電話営業など、今まで経験がなかった業務を担当。
もともと人と話すことが好きだったので、営業はとても面白く感じました。また、ベンチャー企業をサポートする中で、相手へ貢献したい思いが強まり、どんどん仕事にのめり込んでいきました。
結果的に仕事量が増え、毎日深夜までの業務、土日もフルで出所などが続きました。メンタル的には問題なかったのですが、それでも無理をしていたのでしょうね。
大変そうな自分を見かねた上司が、出向の話をもってきてくれました。
そうして、大和証券株式会社へ出向しました。
ー大和証券株式会社ではどのような業務に携わったのですか?
引受審査業務の部署ではなく、IPO(新規上場株式)をサポートするフロント部署に配属されました。
主幹事選定のコンペ(ビューティコンテスト)へ提出する資料の作成やIPOに関するアドバイス、例えば、組織体制の整備、事業計画や資本政策の策定など、ここでの仕事は特に楽しかったです。
配属になった部署の皆様もとても親切にしてくれましたし、証券会社側から見たIPOの景色は新鮮で、多くの事を経験し、学ぶことが出来ました。この出向中に学んだ知識や経験は(株)ジーネクストがIPOする上で非常に役に立ちました。また、一緒に働いた仲間は私の大切な財産となっています。
本当に、あっという間に出向期限の2年が経ちました。
そして再び監査法人に戻り、大和証券(株)で学んだことを共有しました。
ー順調なキャリアを歩んでいたように感じますが、その後どうして退所されたのですか?
監査法人と証券会社、それぞれの立場に立ってIPOに関する業務に携わった中で、サポートではなく、自分でやりたいと思ったからです。
そして、2020年12月に上場した(株)ココペリに執行役員CFOとしてジョイン。
その後、(株)ジーネクストに取締役CFOとして入社。主にIPOを成功させるために必死に業務に勤しみました。
入社当時会社は債務超過だったので、資金繰りには苦労しました。組織体制の整備もこれからという時期だったので、課題は多数ありましたが、社長をはじめとした経営陣、営業部門や開発部門が一丸になって課題解決をすすめ、1年半という短い期間でIPOを成功させることができました。
ー個人のキャリアに関して、どのような展望を考えていますか?
今後もCFOとして続けたいと考えています。
ー会社としてはどのような展望を考えていますか?
(株)ジーネクストは大きく営業部、開発部、管理部の3つに分けられ、私は管理部の責任者を務めています。
営業と開発以外の業務を管理部が担当するわけですから、業務範囲が多く、体制を整える必要があります。上場にも成功しましたが、まだまだ課題が山積みです。
社員皆で協力して、解決に取り組みたいと考えています。
ー最後に、今後士業を目指す方に向けたメッセージをお願いします。
私は35歳から全く違う職種にキャリアチェンジしました。
何事にも挑戦する気概をもちましょう。そして挑戦を決めたら、目の前のことに全力で取り組むことですね。必ず道は開けます。
それに全力で物事に取り組むと、段々と周りの人が助けてくれるようになります。私が監査法人を退所した際も人や職の紹介など、多くの方が助けてくれました。
何事にもあてはまりますが、遅いということはありません。記事を読んでいる方は、きっと私より年下の方が多いと思いますからなおさらです。
そして「これまで経験してきたことが無駄だった」と思わないことが大切です。
浪人時代のマインドや接客のスキルが活きた私のように、思いも寄らないところでその経験が活きますよ。
ー本日はお話をお聞かせていただきありがとうございました。
今回お話させていただいた、三ヶ尻氏が取締役CFO務める
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