株式会社サーキュレーションの取締役 経営管理本部長山口征人氏は、新卒で株式会社パーソルキャリア(旧社名・株式会社インテリジェンス)に入社し、営業を経て、経営企画部署を担当されました。2014年サーキュレーション創業に参画、プロ人材マーケティングを含めた事業基盤の構築、組織立ち上げののち、経営管理本部長に就任。経営企画、事業企画、法務、ファイナンス、人事企画を中心に、全コーポレート部門に携わっています。同社に入社されるまでのキャリアパスや入社の背景、同社での経験、今後の展望などをHUPRO編集部がお話を伺いました。
2006年 | 慶應義塾大学大学院理工学研究科管理工学 修了 |
2006年 | 株式会社パーソルキャリア(旧社名・株式会社インテリジェンス)入社 |
2014年1月 | 株式会社サーキュレーション 創業 執行役員就任 |
2018年7月 | 株式会社サーキュレーション 取締役 経営管理本部長就任、現在に至る |
【山口氏のキャリアグラフ】
―まず始めにどういったご経緯で、24歳で就職されたのですか?
私は理系で、大学ではプログラミングの研究室に在籍し、エンジニアになる将来を漠然と考えていました。大学院まで研究を続けたのですが、いざ就職活動に取り組んでみたところ、自分はエンジニアになりたいとは思っていないことに気づきました。ビジネスをやっていくにあたっての武器として、ITを学ぶのが楽しくて研究をしていたのだとやっと自覚したのです。
とはいえビジネスで何をしたいかまでははっきり決められず、いつか自分がやりたいことが見つかった時に、より選択肢が多い人生を歩もうと考えました。いわゆる理系的な力だけではなくて、より文系的な人間力や表現力のようなものを高めることで人としての幅が広がるのではないかと考えました。
就職活動を進める中で、面白そうな感性が磨ける会社はどこかな、と探した時に「インテリジェンス(現パーソルキャリア)」という会社を見つけました。人材ビジネスへの興味は特段なかったのですが、会社の勢いやメンバーの人柄に強く惹かれて就職を決めました。
―インテリジェンスに入ってみて、ギャップは感じませんでしたか?
配属は営業だったのですが、仕事というものは難しいと感じましたね(笑)なかなか満足いく成果が出せませんでしたが、在籍していたメンバーは、気持ちの良い情熱的なメンバーばかりで、仕事に対するバイタリティーはとても高い会社でした。
そんな会社で20代を過ごせたのは本当に良かったと思っています。仕事は理論や算数、きれいごとだけでは進まなくて、時に情熱的な意思とスピードで乗り越えていくことも大事であると学びました。そんな中、社内異動で経営企画ポジションへ移ることになりました。結果的には、それが私の適性に非常に合っていて、今に至っているのだと思います。
―28歳で経営企画に異動されていますが、やはりここは転機だったのでしょうか?こちらの仕事はどうでしたか?
経営企画はとても面白い仕事でした。ただその面白さも後半になってからで、最初はとにかく勉強しました。とにかく貪る様に本を読んでいた記憶があります。MBAシリーズ、ファイナンス、会社経営、組織論等、かなり知のインプットをしました。知れば知るほど、もっと学ぶべきことや知りたいことが増え、経営企画の分野は非常に広くて、面白いなと思いました。
―知のインプット自体もずっとやられていたのですね。学ぶモチベーションは常に高かったですか?
モチベーションの高低というよりは、短期間で習得しないと仕事ができないという緊張感、危機感が常にあり、やるしかない状況でしたね。ただ、学べば学ぶほど仕事の性質というか、中身がよく理解できはじめてきて、そこから段々と「会社って生きているな」と実感することができてきました。
経営企画は、予算・フォーキャスト含めた管理会計の統括、会社方針と事業方針との接続・連携、全社ルール策定、M&A検討、また不定期に始まる突発的な特殊プロジェクト等、分野は多岐に渡り、他部署連携も非常に多い部署でした。
また、社長や役員との距離も近く、一方で現場の部長や企画部門との距離も近く、それぞれの目線や思惑、視座や考えに触れる機会が非常に多かったように思います。そういった方々とのコミュニケーションを通して、自分の中での情報が会社の戦略と有機的に繋がり、全社の歩んでいる道筋というか、行先の理解が進んだ記憶があります。会社というものはやはり人の集合体であり、戦略と組織、コミュニケーションや力学を含めて「会社が生きている」様に感じられて、非常に面白かったです。
数千人規模の会社で、それぞれの部署でどういう思いを持って仕事をして、どういう風に連結しているのかわかったことが、やりがいにつながりました。
―その中で大変なプロジェクトはありましたか?
当時インテリジェンスには世界的にも規模の大きな外資系ファンドが入り、全社としても大きな変革を求められていました。各部署の業績拡大に向けたプロジェクトはとても記憶に残っています。
例えば、営業人材の生産性向上プロジェクト。当時は、本当にみんながびっくりするほど働く会社でしたので、既に活動量は臨界点に近いところまで来ていたように思います。ただ、そこから更に一歩ストレッチする考え方について、現場からもそんなの無茶だという反応が返ってきました。
私も営業を経験しており、その気持ちはよく分かりました。しかし一方で「どうすればできるか」というスタンスを粘り強く持ち対話を繰り返すことで、現場も実現に向けて何とかやり遂げようと強く考えてくれるようになりました。個人的には複雑な気持ちを抱えながらも、どうにかこのプロジェクトを前に進めないといけないという想いで経営陣と現場の両方と協議を重ねました。
―板挟み状態だったのですね。
構図としてはそう映るかもしれませんが、勉強できることはとても多かったように思います。グローバルを代表するようなファンドが何を重視するのか。どういうコミュニケーションをとるのか。資料作成に当たって何が大事なのか等。あとは、ことさら「数値化」された材料を元に投資判断することが求められているということ、その厳密な運用姿勢に当時衝撃を受けました。
例えば、「この営業人員向け営業研修ですが、ROIはどのくらいですか?」という質問を受けたことがあります。「研修すれば営業が成長し、業績が上がるだろう」くらいにしか考えていなかった自分の考え方が、あまりに感覚的、定性的であったのだなということを痛感しました。これは一例ですが、戦略・戦術・数字のアカウンタビリティの高い水準を実感できたのはとても良い経験でした。
―その後、サーキュレーションに参画されていますね。それはどういう経緯だったんですか?
当時、同じオフィスにサーキュレーション代表の久保田がいました。久保田は社内起業でビジネスを立ち上げて、カンパニー社長として50人くらいまで組織を広げていました。
私は経営企画として、久保田の事業のP/LやCF計画、社内情報システムのデータベース利用方法、契約書含めた法律観点等を裏側でサポートする立場で関わっていました。あるとき久保田から「やりたいビジネスがある」と相談をもらい、そこで初めて後のサーキュレーションの構想とビジョンを聞きました。年齢を問わずあらゆる経験・知見を持っているプロ人材が企業に入り課題解決していく仕組みを作りたいという話でした。
プロの経験・知見を通して企業の経営課題を解決するという久保田のビジョンを聞き、共感し、それは非常に魅力的な誘いだと受け止めました。当時大企業のジレンマも感じていましたし、新事業は経営課題解決を目的としたシェアリングモデルで、いわゆる当時イメージされていた「人材業」とは一線を画すビジネスだという想いもあり、「世界中の経験・知見が循環する社会の創造」というビジョンを掲げて、創業メンバーと共に新たに会社を立ち上げる決断をしました。
サーキュレーションには当時から変わらないミッションが3つあります。
この3つ目は人材紹介事業とは一線を画すミッションです。人材紹介では、紹介した候補者がその後どんな活躍をして、どんな課題解決をしたのかまで把握し、伴走することができません。サーキュレーションでは「お客様と共に発展し革新する」ビジネスをやりたいと思い、ミッションの1つとしました。
―そのタイミングで全てが決まったんですね。
はい。我々が創業したのは2014年ですが、ひとりの人間が複数の会社に支援することは、当時の日本では全然普通ではありませんでした。しかし、働くことに関する日本の価値観をアップデートしたいというのは創業前から決まっていました。それが、「新しい働く価値観を創る」です。
「世界でNo.1のサービスを創る」というのも、目指すなら1番だとメンバーで自然と決まりました。会社ができる前からビジョンとミッションは出来上がっていましたね。
―ビションやミッションに先導された部分があったのですね。心理的に引っ張られたというか。
確かにビジョンは魅力的でしたが、それだけで起業を選んだわけではありません。私はインテリジェンスという会社をすごく愛していました。一方で、自分でも今後の人材業の行く末についてはよく考えていました。少子高齢化の日本において、若年層向けの転職支援がメインの会社である以上、少子高齢化で母集団が減り続ける中でどう成長するかを考えないといけません。
私が在籍していた会社に関わらず、人材紹介事業というものは人材ビジネスの中では相対的に利益率が高く、一方で人口減少社会においては大きな視点で見るといつか縮小側に転じるタイミングが訪れるだろうという、正にイノベーションのジレンマが発生し易い事業だと思います。
そう思っていた時に久保田がやりたいことを聞いて、とてもワクワクするビジョンだなと感じました。世界中の経験・知見が循環する社会を創ることは、人々にとってとても幸せだと思ったのです。
創業期は本当に必死に生きていました。会社員としてはマネジメントポジションでありましたが、創業するタイミングはだいぶ給与を戻してのスタートでした。食費も生活費も毎月切り詰めていましたし、会社としても「cash is king」の考えを徹底して、とにかく業績を上げることだけに集中した、人生で一番ハードな環境でしたね。
―その選択ができたのは、ビジョンのために働く方が自分には合っていると思ったからですか?
そうですね。あとは、自信というか、「やってやるぞ」という確固たる想いがありました。
―その自信の根拠はどこにありましたか?
根拠は2つあります。1つ目は、世の中の潮流に乗っているビジネスモデルだったということです。高い専門性を身につけて独立していく人と、そうでない人が二極化していくと言われている中、雇用による優秀な人材の確保が難しくなるのは10年、20年のスパンで見えています。
外国人の労働者や産後復職を望む女性の活躍、出生率を高める等、そういった政策はありますが、「プロシェアリング」という手法はこうした課題を「雇用」の仕組みから見直すことです。
2つ目は仲間です。サーキュレーションは8人で創ったのですが、そこからビジョンや事業に共感した優秀なメンバーが次々と集まり、2年目から新卒採用も始めることができました。ちゃんとしたビジョンを持っていて良い仲間が揃っている会社が、伸びないわけないだろう、という想いがあったのです。
―良い仲間の定義というのは、どんな仲間だと思いますか?
夢を信じられるということでしょうか。頭が良いとか、口が上手いとかそういうことではなくて、この夢に自分の人生を賭けられる、その覚悟があるか。サーキュレーションは、そう思える仲間たちと始めることができ、とても心強かったです。
―その後の上場のお話も聞きたいです。上場のきっかけはなんですか?
プライベートカンパニーの多くは、上場会社程に認知度が高くありません。しかし、「プロシェアリング」のような働く価値観を変革するような高い社会性を追求するビジネスは、世の中の多くの人に知ってもらいたいと考えていました。今後、会社規模が大きくなっていく中、IPOは大事な通過点であり、目指していこうと当時から漠然とは話していましたね。
具体的に考え始めたのは、売上高が10億円を超えたタイミングでした。必死に生きてきた中で売り上げが2桁を超え、ベンチャー3年倒産説も乗り越えられて。さらに、当時の安倍政権が働き方改革を掲げ始めた頃だったので、ようやく社会の潮目が「プロシェアリング」に向いてきた感じでしたね。
―これから先のキャリアはどうお考えですか?
足下で言うと、サーキュレーションのDXを進めていきたいです。
人間でなくてもできることは、人間でないものに任せたいんです。そうすることで、メンバーがやりがいを持って、工夫や、挑戦を繰り返し、仕事の面白みをきっとより感じていけるようになると思っています。
DXを突き詰めると、人間でしかできないクリエイティブな仕事が残り、そこにみんな一人ひとりの時間を充てることができます。バックオフィスも、管理業務に費やす時間を減らし、組織をより良くするための企画のために頭と時間を使うことができるようになれば、加速度的に組織の成長スピードも高まるはずです。
DXによって生産性を上げ、メンバーが日々成果に繋がる行動ができ、その結果として成長を実感してもらうことで、その方の人生観を崩さず、人生と会社のビジョンを重ね合わせてもらうという好循環を生み出せればと思っています。
バックオフィスは、組織の中核です。ここが崩れると、会社が間違った方向に進むか、人が離れていくか、利益率が悪化します。中核である誇りと、中核である喜びと、中核である難しさ、転じて面白さを感じられる組織でありたいと思い続けています。
私自身は、大企業経営企画、ベンチャー創業、バックオフィス管掌、IPO実現というプロセスを通して、自分の強みが少しずつ増えてきました。今後のサーキュレーションの成長に貢献すべく、新たな経験を通して自らの強みを増やしていきたい、そう考えています。
―最後に読者に向けて、伝えたいメッセージやアドバイスをお願いします!
転職を考えられる方も、そうでない方も、自分が今身を置いている環境、会社や仕事内容にやりがいを感じているか、そして、そのやりがいの中に成長軸がしっかりと入っているか、が大切だと考えています。
会社や仕事に求めるものは人それぞれですが、もし「成長」を求めるならば、それ相応に成長している会社に身を置くことが何よりの近道だと思います。過去の焼きまわしではなくて、新しい挑戦を仕掛けていくこと。会社が決めたルールに沿うのではなくて、そのルールを自らが作り出し全社に浸透させること。いずれも、成熟企業よりもアグレッシブに挑戦する会社であればこそ得られる経験です。
バックオフィスの仕事というものは、フロントや上長からの依頼や、監査法人や社労士から依頼されたものを返すことでは、差別化が図れません。それらは「当たり前」の仕事なわけです。
その人なりのオリジナリティ、工夫ポイント、頭を使って企画して考えた仕掛け、どういうチャレンジをどのくらいしてきたのか。そういうチャレンジを促していくべく、そうでない仕事をどんどんと自動化し、DXを進めていきたいと考えています。私自身も、この取り組みを進めている最中で、挑戦中です。
先が見えない状況で未来を想像するのは大変ですが、ご自身がどんな挑戦をしていきたいのか。その先にきっと描きたいキャリアの答えがあるのではないでしょうか。
その様な時間が、自らの挑戦に向き合い戦う時間が、自分の未来を「創造」することに繋がるのだと信じています。ぜひ、意志を持って自らキャリアを創っていける方が増えればよいなと思います。
―本日は、お話を聞かせていただきありがとうございました!
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