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「逃げずにやり切る力」飲食業界2社の上場を手掛けたRetty株式会社CFO土谷氏の会計士とコンサルタントの掛け合わせのキャリアとは?

HUPRO 編集部
「逃げずにやり切る力」飲食業界2社の上場を手掛けたRetty株式会社CFO土谷氏の会計士とコンサルタントの掛け合わせのキャリアとは?

慶應義塾大学在籍中に公認会計士試験を合格し、その後は監査法人とコンサルティング会社、投資会社を経て、現在はRetty株式会社CFOとして活躍されている土谷祐三郎氏。現職のRetty株式会社を含む上場ストーリーや、監査法人、コンサルティング会社、投資会社での経験、転職時の考え方などを聞きました。

【ご経歴】

2000年 公認会計士試験合格
2001年 慶應義塾大学卒業
2001年 監査法人トーマツ 入社
2008年 株式会社コーポレイトディレクション(CDI) 入社
2011年 PEファンド ACA株式会社 入社
2011年 株式会社ホットランドに上場準備責任者として出向
2014年 株式会社ホットランド 東証マザーズ上場
2016年 Retty株式会社 入社
2020年 Retty株式会社 東証マザーズ上場

【土谷氏のキャリアグラフ】

retty土谷氏キャリアグラフ

日本への違和感、勉強への劣等感から目指した「会計士」

―2000年に公認会計士試験に合格されていますが、会計士を目指したきっかけを教えてください。

会計士を目指した理由は2つあります。
1つ目は、日本人の働き方に違和感を覚えていたところがきっかけです。もともと、帰国子女の自分にとっては、帰国した際「なんで、日本は経済大国にも関わらず、毎朝、みんな満員電車に乗って、同じように働いて詰まらなそうなんだろう」と懐疑的でした。そこで、周りと同じように働くことに違和感を感じて、別の道を選ぼうと思ったのです。

2つ目は、自分の価値をつけるためです。高校が附属校ということもあり、高校では勉強をあまりしていなかったので、このままだと大学では大学受験組に勉強では敵わないと思いました。そこで、将来のために何か勉強した方が良いと思っていた時に、たまたま大学の生協で会計士の資格を見つけ、興味を持ちました。

もともとコンサルタント的な働き方をしたかった自分にとっては、会計士はコンサルタントの中でも最高峰の資格であるという売り文句に惹かれ、弁護士や医者などと違って誰からも恨みを買うことない資格で自分に専門性がつくことから、自分に合っているなと感じました。
こういった気持ちが複合的に混じり合い、会計士を目指すことに決めました。結果として、大学4年生の時、無事に会計士試験に合格することができました。

―その後、就職時に監査法人トーマツを選んだきっかけはありますか?

会計士の資格を取ることが自分のゴールではないと思っていたので、一番早く実力を身につけられる法人という基準で選びました。当時、トーマツが「Quality first」という標語を掲げていて、会社の雰囲気が自分に合っていたことも魅力的でした。

あとは、昔からの勉強仲間と同じ監査法人に行くよりも、自分一人で頑張れる環境に身を置きたいと思い、周りでトーマツに行く人は少なかったので、その辺りが全部重なってトーマツを選びましたね。

―監査法人トーマツではどのような業務をされていましたか?

国内監査部門で、運送会社や外資系子会社、金融機関など様々な業種や会社規模のクライアントを担当し、3年目からは現場主任として仕事をさせていただきました。
色々な業界や会社を見れて、とても良い経験になりました。

ー監査法人からご転職のきっかけは?

会計士は結果の数字を見て、そこに到るまでの要因分析などコンサルに近い仕事ができるのですが、当時、エンロン事件やワールドコム事件など不正会計を発端にした事件もあり、監査法人の中で、監査業務とコンサルティング業務を分離させていく方針が生まれました。そのため、制約が色々と生まれ、監査担当は監査だけでコンサルティング寄りの仕事ができなくなってしまいました。
そこで、監査法人の仕事としては一通りやり切ったという思いもあり、転職をすることにしました。

―戦略コンサルティング会社(CDI)に転職されていますが、次の仕事で会計士の経験が生きたことはありますか?

最初は、コンサルタントとしての仕事をする上で、反対に会計士の経験が足かせになってしまいました。会計士とコンサルタントでは、考え方が真逆だったからです。監査法人では、結果から遡って要因分析など行います。思考で言うと、ボトムアップの考え方です。

しかし、コンサルタントは仮説思考、ゼロベース思考と言われるように仮説を作ってそこから検証していきます。初めはこの考え方になかなか馴染まなかったので苦労しました。

ただその中でも、いわゆる会計のような数字を把握する能力に関しては、会計士としての知識と経験を生かすことができました。新卒からのコンサルタントは、営業利益までは理解できると思いますが、最終利益まで考えが及ばなかったり、またB/Sやキャッシュフロー、そこから生まれる効率性の概念などまで結びつけることは得意ではないと思っています。その時に、B/Sやキャッシュフローの計画までを作りあげ、PLだけに限らない話まで広げられたことは、監査や会計の知識が役立ったと感じました。

―戦略コンサルとしての新しい仕事は、どういったものだったのでしょうか?

やること全てが新しい経験でした。自分の中のベースが作られたと思った期間でしたね。戦略策定だけでなく、M&A、組織改善、営業効率改善、デューデリジェンスのようなことも行いました。
今まで監査脳だったのが、ビジネス脳に変わる感覚があり、その結果、ある程度どんな課題や問題に対しても対応できるようになったと思います。

当時は、かなり忙しく、転職エージェントからは1年で3年分の経験ができると言われていましたが、本当に3倍働いている感覚でした。(笑)
業種の縛りなどなかったので、常にゼロから勉強し、また、コンサルタントとして求められる付加価値を提供しなければいけないので、常に心理的プレッシャーも感じていました。

大変ではありましたが、その分、成長を実感できた3年半でした。

時間軸を大切にするため「投資会社」に転職

―その後に、投資会社(ACA)に転職された理由を教えてください。

いくつか理由はありますが、大きな理由の1つは一社に数年という期間で関わっていきたいと考えたからです。コンサルタントは期間に応じて高額な費用をいただくということもあり、関与できる期間がどうしても限られています。

例えば、戦略策定を担当したら、最初の3ヶ月のみ見るような形です。しかし、実際の実行や成果まで見届けたかったのが本音でした。そこで、もう少し長い時間軸でクライアントの事業に携わりたいと思い、ACAへの転職を決めました。

もうひとつの理由は、働き方を見直したかったからです。当時、結婚して子どもが生まれたこともあり、今までの昼夜ない働き方では仕事を続けていくのが難しいと考えていました。

―転職先はいろいろと見たと思いますが、投資会社(ACA)に決められたのはなぜでしょうか?

当時、選択肢としていくつか考えてしました。今までの会計士と戦略コンサルとしての経験を生かし再生コンサルの仕事に就くこと。商社やファンドに入り投資先のハンズオンとしての支援業務の仕事。あとは監査法人の先輩から戻ってこないかと話を頂くこともありました。

色々な選択肢がありましたが、自分が経験したものが生かせること。そして、何か新しい経験が得られると思ったこと。この2つが合致したため、ACAに転職を決めました。

さらに、冒頭でも触れたように学生時代や働き始めた当初は、日本の働き方が好きではありませんでしたが、いつしか日本が好きになっていたことも理由にあります。グローバルな会社と日本の会社の意思決定の仕組みは違っていて、海外はトップダウンで意思決定しますが、日本はボトムアップ思考があります。

戦略コンサルでCDIを選択した理由としては、日本出路の初の戦略コンサル会社として、そうした日本の特性を踏まえたコンサルを実践し、結果として日本の企業に対して大きな変革をもたらすという思想が、自分にとって非常にしっくり来て大きな決め手になっていました。

ACAにおいても、日本の良いものを海外に広げ、そして日本をより良くするという考え方が根底にあったので、そこに共感して転職を決めました。

―そこで、ホットランドさんのIPOに携わったのでしょうか?

ACAに入って2ヶ月で「銀だこ」などの飲食店を展開する当時は未上場のホットランドへの投資が決まり、出向の話をいただきました。まだ入社して2ヶ月目だったので、もう少しいろいろな経験をしたかったですが、こういった声がかかるチャンスは滅多にないと思い、出向を決めました。まさに自分がやりたいことだと確信していました。最初は財務経理部長として出向し、その後はIPOするまでの3年半の間、上場準備責任者として尽力し、無事にマザーズ上場を果たすことができました。

実が伴う意思が求められる「上場」への挑戦

―飲食店を展開されるIPOは労務など、大変だと思いますが、大変だったエピソードはありますか?

創業社長を本当の意味で上場をするという覚悟を持っていただくことが一番難しかったです。言葉として上場すると言っても、実際にはさまざまな試練があります。

労務の問題や内部統制などを整理することはもちろんですが、例えば、子会社で赤字体質の会社を閉じる、関連当事者取引を全て無くす、実績と大きく乖離しない事業計画を策定するなど、それまでの会社運営とは明らかに異なるレベルまで引き上げていく為にやるべきことが沢山ありました。

こういったやるべき事が沢山ある中でも、最も重要なことはやはり社長に意識を変えて頂くということが一番大事で、ACAとして立場から社長含めた経営陣に対して「本当に上場する気はあるのか?」と何度も何度も議論をしましたし、外部の監査法人や証券会社のメンバーからも上場の意義などを伝えて頂くなど様々な手段を講じました。

最終的に、経営陣に覚悟を決めて頂いた後は、その後の上場準備においても色々大変なことありましたが、戦友みたいに一緒に立ち向かって頂き、、そのお陰で何とか上場出来たのかなと思っています。

―ホットランドで上場を経験されて、その後どのくらいで転職しましたか?

ホットランドが上場したのは2014年の9月です。その後は非常勤取締役に就き、約2年継続させてもらいました。

上場前は、ACAから完全出向だったのでほぼ100%ホットランドへ出勤していました。上場後の2年間は非常勤取締役として、ホットランドへの出社は月に1〜2日ぐらいで、ACAの業務に戻り、その他の幾つもの投資にも関わって、インドネシアの会社などにも関与していました。

そして、2016年の10月にRettyに転職しました。

―飲食業界の経験もあってRettyからオファーがあったのでしょうか?

もともとRettyのCFOが高校時代の友達の後輩でした。彼のことは、経営者が集まるような会で知っていて、その彼から声をかけてもらいました。

ただ、当時ACAにいることを楽しいと思っていたので転職は考えていませんでした。ですが、彼や社長の話を聞いて、実際に営業にも同行させてもらって。働いているメンバーが非常に良いと感じました。こんな純粋な思いで、仕事をしている人たちと一緒に働けたら面白いと思い、そこで急転直下、転職を決めましたね。

―Rettyでもやはり上場は大変でしたか?

まさにコロナの時期だったので、想定外のことが起こりました。一番の衝撃は、緊急事態宣言です。それまでの苦労もありながら、ようやく上場できる状態になったと思った矢先に、緊急事態宣言が発令され、顧客である飲食店は休業となりました。これは、上場どころではなく、会社としてどう生き残れるかという次元の事件でしたね。それまで上場準備していたことを一旦止めて、資金繰りにも奔走しました。

―それでも、上場延期は考えなかったのでしょうか?

長い時間をかけてしっかりとIPO準備をしていたこともあり、延期は考えなかったです。正直、だいぶコーポレート部門のメンバーには辛い思いをさせてしまいましたし、会社として大変な時期ではあるものの、上場準備から事業成長に切り替えるために方針を固め、2020年10月に上場を果たしました。

「やり切ること」「納得感」が困難を乗り越えるマインド

―ホットランドとRetty、どちらも上場に向けて大変なことが多かったと思います。それでも強いメンタルを持てた理由や、困難が訪れた時の心構えをお聞きしたいです。

自分としては「やり切ることが大事」だと思っています。やり切った後は見える景色が変わります。これは最初に上場を果たしたホットランドでまさに体感しました。
山登りと一緒で、辛いのは当たり前です。ですが、辛いと思っていても山を登った後は最高の景色が広がります。

ホットランドの時は、社長とも色々と対立することがあり大変でしたが、最後は社長に信頼をしてもらい、一緒にやり切ることができました。だからこそ、社外取締役で残ってほしいと言っていただけたのかもしれません。

上場した日は、社長が「お前がいて本当によかった。上場できてよかった。」と涙を流して下さったほどです。社員の方々の嬉しそうな顔を見ても、本当に辛かったことが喜びに変わった瞬間がありました。
極論、辛いことであっても、ちゃんと向き合って対処すれば解決するだろうし、それでも解決しない場合は時間が解決してくれるという考えでいます。その辛さが、むしろ成功時に喜びを増幅させるという考えです。

厳しい環境だと転職して1年で辞めてしまう人も多いですが、僕は石の上にも3年と思うタイプなので、いくら辛くても3年はかじりつこうと思っています。
「自分が決めた目的を達成するまで時間を決めてやり切る」これが大事だと思って、逃げたら逃げ癖がつきます。これは後輩にもよく伝えています。

―ご自身がいつもやり切ったと思えるタイミングは、目に見えた成果でしょうか?どこを基準に今までやり切ったと判断されているのか、気になります。

自分の中での「納得感」です。正直、戦略コンサルタントとしての在籍期間で言うと、周りから見たらやり切っていないと思われるかもしれません。ですが、自分の中では3年と決めて、結局4年弱いましたが、その環境で自分が決めたことは全てやり切ったという思いで次の環境に移りました。

「納得感」は第三者にはわかるようなものではない気がしますし、自分の基準で良いと思います。

―最後に会社としてのビジョン、土谷さん自身のビジョンをお伺いしたいです。

会社としては、飲食業界を引っ張る存在になりたいです。今はグルメサービスとしてやっていますが、さらにもっと飲食店の業務支援ができる会社を目指しています。
例えば、現場のオーダー業務をゼロにするために、昨年は「モバイルオーダー」という店内のモバイルオーダーサービスを展開しました。

我々としても「世界中の人をhappyに。」という会社のビジョンに近い形で、飲食店の皆さんにもhappyになってもらいたいです。そして、飲食業界を変えられる、なくてはならない存在を目指します。

個人としては、会社の中での立ち位置や、自分がこうなりたいという考えは正直ありません。自分がCFOとして活躍できなくなったら、変えてもらっても全然良いと思っているぐらいです。会社の成長のためには、むしろその方が良いと思っています。

その中で自分の能力が生かせるポジションを探せば良いと考えていて、場合によっては会社を変えても良いと思うほど、現職のCFOというポジション自体にはこだわりはありません。ただ、今はとにかく上場を果たしたRetty株式会社のこれからに向けた新たな仕組み作りをしっかりやっていきたいと思っています。

―本日は、お話を聞かせていただきありがとうございました。

今回お話を伺ったRetty株式会社のホームページはこちら
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