大学卒業後、大阪市内でサービス業に2年間従事。その中で、自分のやりたいことは何か?を考え、ひたすら勉強し、様々な分野で資格を取得しました。独学で挑んだ数々の試験の中で自分の得意分野を見つけ、同時に就職先であるサービス業に携わる中で「自分がやりたいサービス業」の方向性が少しずつ見えてきました。税理士という職業に出会い、アルバイトから独立まで果たした中村太郎氏の勉強方法や「サービス業」に対する思いを伺いました。
【ご経歴】
1998年 | 大阪市内のパチンコ店に就職 |
2000年 | 辻正夫税理士事務所(みのり税理士法人)入社 |
2004年 | 税理士試験合格 |
2006年 | みのり税理士法人 東京支店代表に就任 |
2011年 | 中村太郎税理士事務所 開業 |
ー学生時代はどのように過ごされていましたか?
和歌山大学の経済学を専攻していました。経済学部に興味があったとかそういうわけでは無く、センター試験が終わった後にこの点数で入ることができる大学を探したところ、和歌山大学だったというだけで選びました。
大学時代はあまり勉強もしておらず、海が近いからという理由でヨット部に所属してクラブ活動に打ち込んでいた学生時代でした。ヨットって陽が落ちたら陸に上がってこないといけないんです。なので、金土日が活動日で早朝から出て夕方には帰ってくる、といったスケジュールでした。年末の試験前ぐらいまでクラブ活動はしていましたし、3月ぐらいまである国立の試験が終わったらすぐにクラブ活動が始まって、1年を通して活動していました。
ヨット部の大会ってF1と同じような感じで、決められた週数を一番早く回ったら勝ち、というルールで、風が出ていれば50㎞/時とか出るのでめちゃくちゃ早いんです。そんな大会にも出場していました。
あと、和歌山って娯楽が無いんですよね。海かボーリング場かパチンコ屋。それでよくパチンコ屋には行ってました。おかげで大学は2回留年して5年半通ってます。
ー卒業後は就職してどのように過ごされていましたか?
この時、バブルが崩壊して超就職氷河期の時だったんです。それで大学時代によく行ってたこともありパチンコ屋さんに正社員で就職して、ホールに出ていました。その中で、「このままここで働き続けて良いのかな?」と、将来のビジョンが見えず悩んでいました。
パチンコ店って普通のサービス業と違って、お金を払えば払うほどみんな不満を抱えて帰っていくんです。普通は、ホテルでも航空でもそうですが、お金を払えばより良いサービスを受けることが出来ますよね。やっぱりお金を払っていただいたお客様ほど良いサービスを提供したいという思いがありました。
目的を持たずに大学に行って就職したので、24歳の時点で自分が何に向いているのか分からなかったんです。なので、パチンコ屋さんで働きながら沢山の資格にチャレンジしました。
ーどのような資格に挑戦されたんですか?
宅建やシステムアドミニストレーター、電卓検定などにも挑戦しましたし、その当時パソコンは達者な方では無かったので、その辺も磨いていきたいと思いタッチタイピング検定みたいなものも受けました。その当時はめちゃくちゃ早くて、10分間で2000文字ぐらい打てました。
その中で簿記の3級も受けたんですが、本屋さんで買った本で2~3ヶ月ぐらい勉強して受けたら満点で受かったんです。今まで満点とか取ることが無かった自分が満点を取ったことで「この分野向いてるんじゃないか?」と、いい意味で勘違いしたんです。そのあと、同じように独学で2級も合格しました。
ー税理士事務所に転職したきっかけを教えてください。
簿記2級まで受かったことで、この次の資格は何かを調べたところ税理士か会計士だと知ったのですが、会計士は当時働きながら受かれるような試験では無く、だいたい大学生が専門で勉強して受かるようなものでした。なので、働きながらでも受かる可能性のある税理士を目指すようになりました。
友人の父親に税理士さんが居てお話を伺ったところ「税理士は頑張れば独立も出来るし、みなさんに喜んで頂くサービスが提供できる良い職業です。」と教えて頂いたことも目指すきっかけでした。
そのころ運よく父親の自治会仲間に「今度、税理士事務所を開業するよ。」という方がいたんですがそれが非常にお世話になった前職の所長です。2000年から開業することを父親が聞いて、丁度1999年の10月から無職だったので父親が声をかけてくれて、面接をして頂きオープン当初からアルバイトで就職しました。2年目からは正社員として実務経験を積みながら勉強をして、4年後に税理士試験に合格しました。
ー実務経験を積みながらの試験勉強はどのように両立しましたか?
年末調整や確定申告、決算時期など税理士事務所の繁忙期に勉強時間を確保するのは結構大変でした。事務所は試験に対して応援してくれていて、試験前は有給を使用して7連休を取らせて頂いたりしました。勉強時間としては、仕事が19時ぐらいに終わってから専門学校に直行していました。3時間程の授業を受けてから1時間程自習をして帰る、という生活をしていましたがそれでも1日4時間程度しか出来ないので、土日は10時間ぐらいは勉強していました。
やはり実務が勉強に生きることもあったり、実務をしていることによって勉強をしている中で吸収しやすかったです。働いていたのが大阪でしたが、住んでいたのが奈良県だったので通勤時間にトータル1時間程かけていました。なので暗記しないといけないものは電車の中でして、机の上で計算しないといけないものは夜や土日に回す。というような感じで、移動時間を無駄にしないのは一番大事かなと思います。
ー2011年11月に開業をしたきっかけを教えてください。
32歳ぐらいで東京支店の代表に就任させて頂いたんですが、支店を出そうか、だとか資金繰りのことを考えることなどの経営のことを考える必要が無かったのですが、お客様からは経営者目線の回答を求められることが多かったです。融資に関する書類は作っていましたが、自分でお金を借りて事業資金を返していく、ということも経験が無かったので、経営者さんと同じフィールドに立って経営者目線でのアドバイスがしたいとの思いから開業を決意しました。
ー中村太郎税理士事務所の強みはなんでしょうか?
税理士事務所って会計と税務が大きなウェイトを占めるんですが、私の事務所ではプラス資金調達のところ、融資や補助金も得意としています。全部で6000ぐらいの補助金があるのですべては難しいですが、メール配信などでたくさんの情報を届けるようにしています。
あとは、ネット関係やITスキルも高いと思います。税理士業界は6割ぐらいが60歳以上の先生が占めているんです。なので、いまだにペーパーレスが進んでいなかったり、印鑑を押すために出社しなければならないことが多いです。しかしうちでは、社内の情報伝達はchatworkを使用していますし、契約書の締結はクラウドサインを使用してクラウド上で完結できるようにしています。特に今はコロナ禍なので、テレワークができる環境を整えて、なるべく人と会わなくても良いようにしています。
ー仕事をする中で一番のやりがいってどこに感じられますか?
やはりお客様に喜んで頂けることじゃないですかね。税金の部分だと、例えば節税対応ですね。お客様の手元にキャッシュが多く残るようなご提案をすることで喜んで頂けたり、融資や補助金の制度なども、お客様が知らないものをご提案したり、それらを代行して資金調達させて頂くことで、お客様に結構喜んで頂けます。
税理士事務所でも、補助金などのご提案はしない、うちの仕事じゃないっていうスタンスの事務所もありますが、私の事務所ではお客様に喜んで頂けるものはどんどんご提供していきたいとの思いでやっています。
ー5年後、10年後のビジョンを教えてください。
現在は全員で12人ですが、将来的には50人ぐらいまでの規模の事務所に成長していきたいと思っています。昔は200人300人ぐらいが良いのかなと思っていたんですが、同業の方のお話を聞いていると、違うかなという思いがありました。
なぜ50人かというと、人間が覚えられる人数の限界値というのが150人らしいんです。そうすると、200人や300人になると自分の知らないスタッフが出てきてしまうことになるんですよね。それって僕が目指しているものとは違うと思います。イメージとしては、金八先生みたいなイメージです。僕が金八先生になって、目が届くひとつの教室ぐらいの規模感が良いなと思っています。
ー今後開業してみたいけど悩みを抱えている方に向けてメッセージをお願いします。
僕は昔パチンコ屋で働いていて、どのような道に進むべきなのか模索していましたが、同じように悩んでいたり、就職出来なかったとしても諦めずに資格にチャレンジしたり、勉強することが大事だと思います。その中で「自分に向いてるんじゃないかな」というところを信じて進んでいっていただければ良いのかなと思います。それは必ず自分の知識・スキルになって将来助けてくれると思います。
税理士事務所って、良いサービスをご提案・ご提供すると、必ず喜んで頂いてお客様の笑顔が直に見れる良い商売、良い業界だと思います。自分が覚えた知識やスキルが自分だけでなく、お客様の為にもなる。ひいてはお客様の会社の成長発展に貢献出来る、非常に良い業界だと思いますので、是非目指して頂ければと思います。
ー本日は貴重なお話をありがとうございました。
今回インタビューさせていただいた
中村太郎先生が所長を務める中村太郎税理士事務所のHPはこちら