慶應義塾大学商学部への進学、公認会計士試験に合格の後にPwCへの入社。その後、実家の倒産、数々の転職を経て現在は税理士法人の代表就任。約30人のメンバーとともに「会計・税務で人々を幸せに」を実現する、森耕平さんのキャリアについて HUPRO編集部がお話を伺いました!
【ご経歴】
1993年 | 中央監査法人(当時4大監査法人)の国際部(PwC)入社 |
1997年 | アーサーアンダーセン(当時世界最大コンサルティングファーム)入社 |
2000年 | ㈱ヘルスケアシステムズ 入社 |
2001年 | 独立 森総合会計事務所を設立 |
2016年 | 森総合税理士法人代表社員に就任 現在に至る |
ー公認会計士を目指したきっかけについて教えてください
私は小学校低学年の頃から、社長になるのが漠然とした夢でした。父が中小企業の経営者であったことや、当時、宮尾すすむの「ああ日本の社長」というテレビコーナーが大好きで、よく見ていました。そんな感じだったので、社長という存在が身近な環境にありました。他方で、小さい頃から母や祖母から、当時三大国家試験だった医者か弁護士か公認会計士になれとよく言われていました。
自分は文系でしたので、目指すなら医者以外の弁護士か公認会計士だなと思っていました。でも当時は弁護士も公認会計士も特に何をしている職業なのかも知らず、高校時代の三者面談(先生、母、私)で、「僕は東大にいって将来は公認会計士になりたい」と先生になんとなく言ったところ、鼻で笑われて、「君が公認会計士?本気で言ってるのか?なれるわけないだろう!」と担任の先生に大いに馬鹿にされました。母親と二人、悔しくて悔しくて、「絶対に見返してやる!!今に見てろ」と思ってました。見返すために勉強を頑張り、慶應義塾大学の商学部へと進学することになりました。
ー公認会計士になるまで、どのように勉強を進めたんですか
大学2年生から、大学と会計士の専門学校を掛け持ちしました。自分は要領が良い方だと自負していたので、バブルのさなか、大学のテニスサークルと公認会計士の専門学校を行き来し、 全然本気で勉強していませんでした。そのうち合格するだろうと自分を過信していたんです。 友達たちが、一流企業にどんどん就職が決まる中、自分は就職活動をせずに会計士の勉強だ けをしていましたが、だんだん焦り始めました。
このままではいつまでも受からないのではと思いました。高校の三者面談で、担任から笑われた悔しい思いが何度も思いだされました。 大学4年時の会計士試験の結果が不合格と出てから、人生初というくらい、本気で勉強しました。今日から次の試験日まで、朝7時から夜12時までスケジュールを綿密に組み、 毎日スケジュールをこなしていきました。今思えば、目標設定、期日設定、そこまでのステップ、結果が出なかったときの修正プランの設定など、今の仕事にも繋がる大事なことを公認会計士の試験勉強から学びました。
ーPwCで働くきっかけについて教えてください
PwCを選んだのは、そこで働く先輩方が、とても優秀に見え、何よりかっこ良かったからです。当時は外国人の方も多く、珈琲を片手に、机の上に座り、時折笑い声も交じえながら、英語で何か喋っている、そんな姿にあこがれて、PwCに入りました。
入社して最初の仕事が、英語も話せないのに、イギリス人のボスと2人きりで、クライアント先での監査でした。緊張と不安で吐きそうになったのを覚えています。今思えば、「Adjusted Journal Entry (修正仕訳)」を書けって言われても、ボスの英語を全く聞き取れず、ポカーンとしているアホな新入社員でした。(笑)
業務内容は、外国に親会社をもつ、日本の子会社の監査が主な業務でした。印象に残っている経験として、ある時手形のサイト調べをしていて、何回計算をしても、計算が合わない、異常値を発見した私は、そのことをイギリス人のボスに、身振り手振りの片言英語で伝えました。その瞬間にボスは急に真顔になり、すぐに本国の親会社へ電話していました。 びっくりしたのは、その翌日、監査対象である日本の子会社の社長が即クビになったんです。
なんとなく伝えた私の報告がきっかけになり、その社長は解任されたのでした。要するに、その社長は売上を嵩増しするために、手形のジャンプを繰返し、親会社に対して粉飾決算をしていたわけです。その時に僕らの行う監査という仕事は重大なんだなと痛感しました。
PwCに所属していた26,7の頃、九州の実家の不動産会社の経営が非常に悪くなりました。実家は主に一戸建てを販売している、売上高 10億程のまさに中小企業でした。小泉竹中政権の時期に総量規制と言って、家を買う際の金融機関の貸付に制限がかかりました。その影響で家を買うお客様が著しく減り、非常に経営が悪くなったというわけです。
その際に、PwCを休職してしばらくの間九州の実家を手伝うことにしました。私が戻ったころには、父の放漫経営、杜撰な経営体質の結果、すでに競輪並みの自転車操業になっていました。当時父が、仕事を依頼していた会計事務所の担当は、税務と会計の違いがよくわかってなかったんだと思います。そのため、税金が発生しないなら多少赤字でも良いよね?というやりとりが、父親と担当税理士との間で行われました。
税金が発生しないなら良いか!という安易な考えで作成した決算書を銀行に持って行ったら、すぐに融資を受けられなくなりました。手形を発行して業者に支払いをしていたこともあり、不渡りも発生してあっという間に倒産しました。私はこの実家の倒産という貴重な経験を経て、経営管理の大切さ、 特に会計、そして税務が経営に直結した重要なファクターであることを知り、さらに会社経営は社長の人生、その家族の生活に直結していることを痛感しました。
悲しみの中、私は東京に戻り、まずは税務を徹底的に勉強し、そして独立しようと考えました。一番勉強になる事務所に就職し、税務を身につけようと思った私は、当時、仕事に最も厳しいと言われていたアーサーアンダーセンに就職を決めました。アンダーセンは、厳しいと言われていただけあって、またお金に直結する税務を扱っていることもあり、監査法人と全く違い、とてもピリピリした雰囲気でした。
周囲の人は皆、誰よりも優秀になりたいと思う人ばかりで、申告期限の前には徹夜しているスタッフも大勢いたり、仕事を持っていない奴は、間抜けであるという雰囲気だったので、スタッフ間で勉強になる仕事の争奪戦なんかもあったりして、やる気満々だった私にとって大変刺激的な毎日でした。
アンダーセンに入社した初めのころは、監査しか経験が無く、税務はズブの素人だった私に は、なかなか仕事が回ってきませんでした。何とかしないと税務の経験が出来ないと思った 私は、夕方くらいの仕事が一息つく時間を見て、パートナーやマネージャーの部屋を毎日訪れ「森です。やる気あります、しっかり仕事しますんで、仕事ください。」と言って廻って いました。まさに社内営業をしていました。その甲斐あって少しずつ仕事が増えだし、気づいたら、1週間事務所に泊まりっぱなしになることもありました。
ーあえてそのような厳しい環境に飛び込んだのはなぜですか?
30歳までに独立しようと考えていたからです。そのためには税務を短期間で習得しなければならなかったんです。当時は実家のこともあり、実家の両親も支えるんだという気持ちで日々取り組んでいました。短期間で習得するために、常に前のめりに取り組みました。具体的には法人税申告、所得税申告、相続税対策などの経験をし、ストックオプションの研究なども経験しました。 当時ストックオプションに1番詳しいのは自分であるという自負がありました。その能力を買われたのか、トヨタやモルガンスタンレーなどの大企業の役員向けに、お話や説明をするなどの研修講師のような事も経験できました。
ー医療法人ではたらくことになったのにはどんな経緯があったのですか?
なんとなく税務にも慣れ、アンダーセンで激務をこなしていたある時、担当先の大型医療法人で、管理部長以下、管理スタッフ全員が急に辞めてしまうという事件が勃発しました。 困り果てた理事長から、何とかしてくれという電話がパートナーに入りました。そこで白羽 の矢が立ったのが、監査法人で企業の経営管理を見た経験のある私でした。
しかし、初めての事業会社での管理部長(代理)でした。経理処理や税務申告は分かるものの、 資金繰りから給与計算、社内稟議の承認、求職者の面接、新規出店プロジェクトのシミュレ ーションまで、何から何まで矢継ぎ早に仕事がやってきます。そんな中で、次の部長候補の面接をしていた私に、理事長から「君が部長として転籍してこいよ、いくら欲しい?」 と思いがけない言葉を掛けられました。
当時、アンダーセンでは優秀なマネージャーはクライアントにヘッドハンティングされることがしばしばありました。私はマネージャーではありませんでしたが、マネージャーだと、だいたい幾ら位という相場があったので、その金額を理事長に返すと、すぐに「OK」という返事がありました。思いがけず、そんな経緯で医療法人のMS法人であるヘルスケアシステムズに就職することになったのです。しかしここの仕事はアンダーセンの時よりも忙しかったです。何週間も家に帰れていませんでした。(笑)
この時の経験で得た具体的なことは、医療法人がどのように動いていて、理事長は何を考えているのか、雇われ医師はどう考え、事務長はどう動くのかなどを目の当たりにすることができ、医療法人を内部から見ることができた経験は、いま医療施設のコンサルティングやデューディリジェンス等をする上で、大いに役立っています。
ー森さんの経歴を見てると約4年ごとに推移されてますね
そうですね。計画的にやってます。少なくとも3年間のうちに学べるものは全て吸収し尽くして出てこうと思ってます。年数の間にいかに多くのことを吸収するかと言う感じで、仕事をやってました。全てが役に立つと言う感覚がありましたね。
30才までに独立をしようと考えていた私でしたが、ヘルスケアシステムズで仕事に忙殺されていた私は、33才になっていました。税務の経験をし、医療分野の管理経験までできた私にはもう、独立しないという選択肢はありませんでした。
ー決意されてからその後具体的にどのように動かれましたか?
独立しようと思って事務所探しをするんですけど、独立して事務所を構える敷金がなかったんです。最初から人を雇って事務所を借りてやろうと思ってたので、どうしようと思ってたら当時仲の良かった同級生のドクターが一緒に事務所構えようって言ってくれたんです。
彼も早くから独立していたんですけど、敷金を出してくれたんですよ。それがなかったら、今独立してないかもしれないです。それで永田町に事務所を構えてスタートしました。独立したらお客様が来てくれないと仕事ができません。そのため営業をしてあらゆる知り合いや、場所を回っていました。保険や住宅などの異なる業種の方と一緒に営業を回ることもあり、日に日にお客様が増えてきました。
ー事務所経営のロールモデルにされてる人はいたんですか?
先輩に結構いっぱいいました。受験勉強時代から独立するって決めてたんで、独立したらこうしようというのをずっと頭の中で練っていました。実際に身近な先輩が独立されてて、事務所に行って話を聞いたりすることは何回かありました。先輩には独立する前から「独立したらすぐ人を雇え。」と言われていました。「独立したら自分の時間が全てになるから、サボってしまう。だけど人を雇えばサボれなくなるから、すぐ人を雇え。2人ぐらい雇え。給料を払う身になったら働くしかなくなる」と。その言葉を受けて、事務所をスタートさせて2人従業員をすぐ採用するなど先輩のアドバイスを聴きながら、事務所経営を進めていきました。
ー独立後に苦労されたことはありますか?
苦労だらけでした。(笑)当初はお客様を獲得することに集中しすぎていて、営業が好きだったのもあり仕事を獲得することが仕事だと思っていました。しかし、それは自分自身の幸せであって、従業員の幸せではなかったんです。仕事が増えればお給料も上げられるよと思ってたんですけど、それではスタッフがついてこないです。「この職業は医者と一緒でお給料を払いながらタダで仕事を教えてあげている。だから当然お給料は安いよ。だって、君たちは手に職つけたいんでしょ?」という発想でした。
しかしサービス提供をする職員があってのお客様ということに気づかされました。そのため私の職場でも働き方改革を行いました。今では従業員もほぼ定着しています。居心地が良いと感じているスタッフもいるのではないでしょうか。しかし私たちのサービスの質を落とすわけには行きません。
僕らは専門職なので、専門職としての専門性を極めて、お客様に提供する価値を向上させていく必要があります。それが無理なく、持続的に行われる仕組みになると良いと考えています。「会計・税務で人々を幸せに」を実現できているのは、今でも専門家としてしっかり勉強するべきだという感覚を持った素晴らしい、スタッフに恵まれていることが大きな要因であると思います。
ー独立してからどういう時にやりがいを感じますか?
やりがいはお客様が信頼してくれているのを実感する時です。重要な判断をしないといけない時に、お話を聞いていただけます。またうちのスタッフを信頼して聞いていただけるのを見かけると、「スタッフが成長しているんだな」、「お客様のお役に立てているんだな」と充実感が得られます。「会計・税務で人々を幸せに」をモットーにしてるんですけど、重要な判断を自分たちに仰いでくれているお客様の姿を見ると、モットーを実現できているのかなと感じています。比較的うちのお客様は成長しているお客様が多くて、要所要所で良いアドバイスができているのかなと思います。アドバイスをした先で成長が見られると嬉しいですね。
ー将来のビジョンをお聞かせくだせい
将来的には税理士法人自体はITやAI化が進んでいくと思うので、私の事務所では積極的にITやAIを導入しようと考えています。ITやAIで代替できるものは代替して、日本で最先端と言われるくらいのIT税理士法人にしたいと思っています。
しかし、人間しかできないことも当然あります。相手が何を望んでいるのか気持ちを汲み取った判断や、所得税・法人税・相続税・消費税を全部見るといった総合的な判断は人間じゃないとまだまだ難しいと思うので、人間にしかできない部分はしっかりやっていきたいです。また頭の中のどこかに日本の社長というのがあるので、税理士法人やりつつ起業もしたいと考えています。何をするかに関しては、内緒です!(笑)
ーヒュープロマガジンのキャリアインタンビューを読んでくださっている読者の方にメッセージをお願いします
税理士や会計士は税や会計の分野にこだわらず、様々な分野で活躍するべきだと思っています。会計税務は経営に直結する部分であって数字を見ることができるので、経営をやろうと思えばできます。起業してみたり、上場を目指してみたり、様々な場所で活躍できますし、私の仲間達も、実際にやっています。
これから会計士や税理士を目指そうと思っている人は、そういうことを考えてなってほしいし、現在税務や会計をやっている人は夢を持ちながら仕事を継続してほしいです。経験を積めば積むほど洗練されて夢が実現する可能性が高まり、やりたいことがやれる一番近いところにいる職業だと思います。
-本日はお時間いただきありがとうございました。
今回お話をいただいた森 耕平さんが代表を務める
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