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時間とパッションを全力で注いで生きてきた!目指すは「シンガポールの参謀役」萱場玄氏のキャリア遍歴

HUPRO 編集部
時間とパッションを全力で注いで生きてきた!目指すは「シンガポールの参謀役」萱場玄氏のキャリア遍歴

⼤学卒業直後に公認会計⼠試験に合格。⼤⼿監査法⼈、会計事務所を経て、シンガポールに舞台を移した萱場⽞さん。勉強嫌いな少年が⼤学在学直後に試験に合格した過程、監査をする側とされる側双⽅のキャリアを体験した⽇本時代から、海外への移住を選んだ⼼境、シンガポールでの今後のビジョンをお聞きしました。

【ご経歴】

2002年 公認会計士試験 合格
同年 あずさ監査法⼈(新⽇本監査法⼈の KPMG 部⾨が⼊社 1 か⽉後独⽴)⼊所
2006年 あずさ監査法⼈ 退所
2008年 東京共同会計事務所へ転職
2012年 TMF シンガポールへ転職、シンガポール移住
2014年 CPA コンシェルジュを設⽴、シンガポール事務所代表として現在に⾄る

公認会計⼠を⽬指したきっかけは「逆転サヨナラホームラン」狙い

−どうして公認会計⼠を⽬指されたんでしょうか。

少年期はほとんど勉強をしていませんでした。当然成績も上がらなかったので、いい学歴を持っていないんです。それで⼤学⽣の時に「これは何か⼿を打たないと。よし、⼀発逆転ホームランを打ってやろう!」と資格試験を⽬指しました。

梅⽥の紀伊国屋で⼀番分厚い資格本を⼿に取り、年収の⾼い順に狙いを定めたのですが、その本によると⼀番が弁護⼠で次が公認会計⼠。弁護⼠ではなく公認会計⼠を⽬標にしたのは、⼤学の学部が経済学部で、⼤学の勉強と公認会計⼠の試験科⽬でかぶっているところがあったそれだけの理由でした。

−パチンコに費やしていた時間をすべて試験勉強に。

当時⼤学にはほとんど⾏っていませんでした。1 年⽬と 2 年⽬はパチンコ三昧。バイトより割が良かったんですよ。お⾦を稼ぐためと割り切ってほぼ毎日、それこそ1年で360⽇通っていました。これは後から勉強に活きてくるのですが、⽬的や⽬標を決めると、それに向かって計画的に⼤量に時間を費やすことが得意だったんです。

公認会計⼠の勉強には 3 年費やしたのですが、ただ、初めの1年間はあまり勉強していませんでした。⼿始めに簿記3級を受けてみたら簡単で、「向いているんじゃないか」と勘違いして公認会計⼠試験をなめていた。勉強を初めて2年で1回目の試験を受けましたが短答式で落ちて。まったく⻭が⽴たずこれじゃぁダメだと思ってライフスタイルを変えました。

そこから、毎⽇朝6時に起きて、⼤原簿記専⾨学校の⼤阪校の⾃習室の⼀番後ろの席を取って、 朝7時から夜9時まで 14時間勉強。1年間で休んだのは正⽉のみ!という⽣活を1年半ほど続けました。⼤学の単位もすべて取り終わっていたし、幸い親が専⾨学校の学費を出してくれたし、他にやることもなかったし、パチンコ・パチスロで稼いだお⾦もあったのでバイトをする必要もなかったと、幸い環境に恵まれたからできたことです。 社会⼈になってから公認会計⼠試験を受けようとするとかなり⼤変ですよね。 ⼤学時代に⾃分の時間をすべて突っ込んで集中して勉強できたのは本当によかったです。

−勉強中に苦労はありましたか。

継続することが得意だったので、勉強に関しては苦労はなかったですね。朝7時から夜9時まで、ただ無⼼に勉強。⼤原簿記専⾨学校の中では受験仲間がたくさんできて、その後にもつながる友達付き合いができましたが、学校外での友達付き合いとの両⽴は難しかったです。

⼤⼿監査法⼈から、充電期間を経て会計事務所へ

−キャリアのスタートを具体的にお話いただけますか。

2002年、公認会計⼠試験後に新⽇本監査法⼈に⼊所しました。ちょうど新⽇本監査法⼈の KPMG部⾨が独⽴してあずさ監査法⼈を作るというタイミングだったので、⼊社1カ⽉後にあずさ監査 法⼈に移籍、それがキャリアのスタートです。あずさ監査法⼈のなかでも KPMG部⾨にいたので、仕事は会計監査、主に外資系の会社や、国内の⼩規模な上場会社の現場責任者をやっていました。

−あずさ監査法⼈で得られたこと。

監査法⼈はスタッフ全員が公認会計⼠。当時⾃分が未熟だったこともあるでしょうが、どう足掻いても勝てないという周りのレベルの⾼さを肌でビリビリ感じました。⼊所までは⾃分はやればできると思っていたんです。実際に公認会計⼠にも合格したし。それが監査法⼈に⼊ったら、びっくりするぐらい頭のいい⼈たちばかり。上のレベルを⽬の当たりにして打ちのめされた。そのシビアな現実、⾃分の当時の⽴ち位置を知ることができたのは⼤きな経験でした。
また、現職ではお客様の代わりに数字を作って監査法⼈にチェックしてもらうのですが、監査法⼈の意図を理解しながら仕事ができるのは、監査法人での経験のおかげです。

−東京共同会計事務所にはどういったいきさつで⼊社されたのですか。

2006年にあずさ監査法⼈を辞めて、2年間充電期間を取りました。英語勉強と筋トレをして、それから⽶国に留学しました。その当時転職をしたあずさ時代の同期が、いいエージェントを紹介してくれて。そのエージェントに⾃分のキャリア展望や希望を伝えたところ、国際税務や英語を使った仕事をやらせてくれる事務所、ということで東京共同会計事務所を紹介してもらい⼊所しました。

東京共同会計事務所は⾦融畑の会計事務所、お客様は大手の⾦融機関や外資系金融機関などでした。不動産投資信託(REIT)や特定⽬的会社(TMK)などの業務がメインなのですが、他にも国際税務やデューデリジェンスなどの業務もやってました。あずさ監査法⼈にいた時はお客様が作った数字をチェックする側、東京共同会計事務所では数字を作る側、会計ソフトへの⼊⼒作業をしたりという実務も学べました。

−東京共同会計事務所で得られたこと。

プロ・専⾨家としてのノウハウなどを得たのは、東京共同会計事務所での経験です。
代表公認会計⼠の内⼭さんは「プロである」ことを重視する⼈でした。「常にお客様の期待値を少し上回るぐらいの仕事をしましょう!」「専⾨性が⾼く他の事務所ではできないサービスに特化し ましょう!」と、仕事に対するマインドが⾼かった。⾃分達はパイオニアで、分からないことも⾃分達で調べ作り上げていくという所内⽂化がありました。

内⼭さんやそれを⽀えるパートナー会計⼠の⽅々には本当にお世話になり、専⾨家としてのマインドを叩き込まれました。プロとしての姿勢ややり⽅を学べたのはほんとうに⼤きな財産です。 前職の監査法⼈はあまり知識の転⽤がきかない業界なので、東京共同会計事務所に⼊った時は会計ソフトの⼊⼒もやったことが無く素⼈に近かったのですが、実務を⼤量にやらせてもらう中で1個1個教えてもらいました。

今でも私の強みになっている国際税務、これも東京共同会計事務所で学んだことが⼤きいです。⽇本企業がシンガポールに進出する際に落とし⽳になる税⾦の話、それから企業だけではなく⽇本⼈個人がシンガポールに移住する時の税⾦での注意点など。移住した後、進出した後でも⽇本の税務に関わってくるので、この分野は他の⼈に⽐べて得意分野です。

子供、孫のことを考えてステージを変える

−⽇本を離れようと決めた理由はなんだったんでしょうか。

⾃分のことだけを考えたら、⽇本の公認会計⼠なので、⽇本で暮らして仕事をしていくことに問題はありませんでした。 ただ、世界経済を俯瞰した時に、⼈⼝減少が続く⽇本はこれから経済も衰退していく、というのが⾒えてきました。30年前はNTTが世界最⾼株価でしたが、いまは世界の株式時価総額ベスト100にはトヨタぐらいしかいなかったと思います。

⽇本国内の経済が⼤きくて⼈⼝が多いうちは国内だけで豊かになれていたし、他の国は⽇本に憧れていた。でもこれからはどんどん他の国に抜かれていくし、インターネットで国境の垣根も無くなって、他の国と仕事をする必要性が増していくはずです。そんなこれからの世の中で、⾃分の⼦供や孫が⽇本語で⽇本国内でしか仕事ができない⼈になるのは危ない。どこか成⻑する地域や国に出ないと。と考えたのが海外に⾶び出した理由です。

−どうしてシンガポールだったのでしょうか。

どこに出ようかと考えた時に、あと50年くらいはインドも含めてアジアが伸びていく時代だと思いました。欧⽶というよりはアジアの成⻑する国に⾏きたい、ということで、最初の候補地はベトナム。現地の会計事務所から内定を貰っていたので家族と視察に⾏きました。ただ下⾒をした感想として、まだ⽣活できる⽔準にはなかった。加えてベトナムで暮らすと必然的にベトナム語を学ぶことになりますが、⼦供たちの将来にベトナム語は必要かと考えるとそうではない。せっかく時間をかけて⾔葉を学ぶならベトナム語ではないな、という判断になり内定を辞退しました。

その次に考えたのがシンガポールと⾹港。どちらも成⻑の円熟期に近い先進国ですが、周囲のアジア経済の中⼼にあるので、他のアジア諸国の成⻑の恩恵を受けられると思いました。どちらも英語が公⽤語で、かつ中国語も学べるし。⼆つの国はキャラクターがかなり違っているのですが、雑多で中国寄りで中国に返還が決まっている⾹港よりは、クリーンで差別もなく⼈種のるつぼであるシンガポールに魅⼒を感じました。 それで周囲にシンガポールに⾏きたいとアピールしていたところ、留学していた時の友達からTMF(オランダ本社の⼤⼿アウトソーシング会社)のシンガポール事務所が⽇本⼈の公認会計⼠を探しているという話が⼊ってきて、連絡したところとんとん拍⼦に決まり、シンガポールに移住しました。

−TMF を辞めて開業されたのはなぜでしょう。

TMFではジャパンデスクに在籍し、営業して⽇本企業を取ってくるのが仕事でした。ただ TMFは数字を重視するビジネスの進め⽅で、シンガポール国内の⽇本企業のマーケットの現状を理解してもらえませんでした。よりお客様の満⾜度を⾼めるために、オーダーメイド的な、コンシェルジュ的な働き⽅をしたくなったので2 年で TMF を辞め、2012年にCPAコンシェルジュを創業しました。お客様もハッピー、⾃分もハッピー、家族もハッピーになると判断した上での決断です。

−CPAC での働き⽅を教えていただけますか。

社員の過半数が⽇本⼈スタッフ、またお客様は⽇本企業と⽇本⼈なので⽇本語で話すことや書くことが多いです。ただ政府や銀⾏は英語ですし、条⽂やその他の制度・規定も英語。現地スタッフもいますので、英語で作業をして成果物は⽇本語で届けるという流れです。

私自身は経営が主な役割なので、現時点では対顧客業務はあまりしていません。⼈事や期限管理、重要な改正があった時のキャッチアップ的調査やマーケティングが私の仕事ですね。それから営業はいまだに⼀⼈でやっています。社内は、学ぶ、考えるという⽂化を徹底しているので、それぞれに強みがあってお客様へのサービスも充実しています。スタッフが顧客対応などで困った時にはもちろんアドバイスをしますが、優秀なスタッフのおかげで実務以外に集中できている環境です。 最近の若者には敬遠されがちですが、社内は仲良しでファミリー的です。みんなで飲みに⾏ったり週末に釣りに⾏ったりする、これはもうCPACの⽂化ですね。

−印象に残っているのは悔しい仕事

CPACを開業して7年経ち毎年ノウハウが溜まっていますので、昔できなかったことがどんどんできるようになっています。当時はご相談やリクエストがあってもできないことがあり、お客様に他の会計事務所に移っていただいたこともあった。それは悔しかったですね。

それから、経営者の皆さんと個⼈対個⼈で仲良くなって仕事をいただくことが多いのですが、お客様の業績が思ったように伸びず撤退する案件が多い。われわれ会計事務所はコストセンターに留まってしまうところがあるのですが、本⾳を⾔えばお客様の売上や利益のお⼿伝いをして⽣き残りの⼿助けができれば、と悔しい思いをしたことが沢⼭あります。会計事務所の中でも常に改善を⼼がけ、いかにお客様の利益貢献をするか、いろいろなサービス を開発しています。

−やりがいを感じるのはどんな時でしょう。

まずはスタッフが楽しそうにしているとき。仕事の際はピリピリする場⾯もありますが、飲み会などでは楽しそうにしているので、それを⾒ると会社をやっていてよかったと思います。社員とは、コミュニケーションを密に取る機会を意識して作るようにしています。それからお客様にいいアドバイスができたとき。経営者の⽅々と直接やりとりをすることが多い のですが、よくお悩み相談を受けます。⼈の悩みやビザのことや家族のこと、プライベートな⾯を含めて経営者は相談する⼈がいないんですよね。たとえば社員のモチベーションアップのやり⽅、おたくはどうしていますか、うちはこうしていますよ、と話をするのがいいアドバイスになったりします。そういう時はやっていてよかったと思います。

今後のビジョンはずばり「シンガポールの参謀役」

−5 年後、10 年後の未来展望があれば聞かせてもらえますか。

会社としては、経営理念である「信頼され愛され⾃慢できる会社」を体現しつつ成⻑できるといいと願っています。共感してくれる⼈にどんどん⼊社してもらい、お客様への付加価値、コンシェルジュ的サービスをもっと増やしていきたいです。 社員も楽しくお客様にも満⾜度⾼くというのは、会社が⼤きくなると難しい点も出てくると思いますし、シンガポールの⽇系企業マーケットの推移という外部要因にもよりますが、現在と⽐べて5年後に2.5倍、10年後に4-5倍の社内と社外のファンを増やせれば、というイメージを持っています。

⾃分としては、5 年後10年後の⽬標はシンガポールの「参謀役」になることですかね。みんなが楽しくやってくれれば、会社にずっと関与することにはあまりこだわっていません。それよりも、お客様の売り上げや利益にもっと貢献できるようになりたい。たとえば、特定の5社ぐらいにコミットして、参謀として⼀緒に事業をしていければ⾯⽩いなと思っています。シンガポール⽣活も10年弱と⻑くなってきて、シンガポールに関してはお客様よりも詳しくなってきました。ですので、私だからできることや提供できることが会社のコストに限らずあるのではないか。そうであれば、CPACの枠から出て何かを始めてもいいかな、と考えています。

−最後に読者の方にメッセージをお願いいたします!

「⼠業」は⼀つのきっかけだと思って欲しいですね。そこからどうやって仕事をしてどこに活躍の場を求めるか。⾃分で枠を決めずにいろんな業界や色々な国に⾶び出してみたらいいと思います。

税理⼠だから会計⼠だからこういうことはやらないというのではなく、ビジネスパーソンとして⾃分のパッション、将来予測に沿ってなんでもやってみたらいいと思います。

ライフスタイル、ライフステージも変わっていくので、その都度、色々なものや地域をみて、⾃分の好みや可能性を探って欲しいと思います。 そのためには、定期的に 2-3 年先を⾒据えて、決めたことに⾃分の時間をすべて突 っ込むことをお勧めします。ちょっと極端ですが、私のパチンコや英語勉強や試験勉強のような感じですね。そうするとその道のプロになれます。 その際にカギになってくるのは情報。情報のシャワーを浴びていると⾃分の中で⼀歩先の仮説が⽣まてきますので、情報収集には貪欲になってください!

-本日はお時間いただきありがとうございました。

今回お話いただいた萱場玄さんの
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